(新)日の丸父さん(1)石原ヒロアキ 「父の日の思い出」

2019年2月6日

きょうの漫画はこちらからどうぞ

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はじめに

 軍事シミュレーション漫画『ブラックプリンセス魔鬼』(全10巻。第4巻まで発売中)
を描き上げて、軍事に対する自分の思いはある程度表現できたかな
と思っていたのですが、なにか物足りなさがありました。
それは、国防に携わる人々の日常生活が描かれていないことです。
ストーリー上あえて描かなかったのですが、それならば別に自衛官の
日常を描いてみようと思いました。
最近自衛隊に対する認識が徐々に高まってきて、
自衛隊をテーマにした漫画が増えてきましたが、自衛官が直接描いた
生の自衛隊漫画はあまり見かけません。
しかし業務の内容は守秘義務が多くて細部は
描けません。そこで家族を中心のコメディタッチの話を考えました。
ここにはごく普通の家族がいます。ごく普通の生活があります。
でも何か事があれば家族も巻き込まれていく、そして大変な思いをします。
そこから自衛隊の仕事の大変さを理解し、一種独特の雰囲気を感じて
いただけたらと思います。
 コメディタッチなので、話は固くなりません。笑いながら時々
ほろっとしていただけたら幸いです。
 なお、メルマガではエッセイをお届けし、
それに合わせた漫画は電子書籍版をお読みいただければと思います。
これまでにない新しい試みです。
(石原ヒロアキ)

父の日の思い出

 2011年3月11日は、自衛官であれば一生忘れられない思い出を
持っている人も多いでしょう。私は装備実験隊第1実験科長として
富士駐屯地で勤務していました。地震の時は富士山が噴火でも
したかと窓の外から顔を出して見た覚えがあります。
 震源地が東北沖と聞き、すぐに実家の石巻の両親に電話をしました。
両親は無事でしたが、家が大破して津波が来るとのことで、
すぐに避難するよう話をしたのが最後でそれから音信不通に
なってしまいました。
 各部隊はさっそく災害派遣の準備にかかっていましたが、
装備実験隊は警備区域を持たず、これまで災害派遣に出たこともありません。
そのうち福島原発の様子がおかしくなり、気がきではありませんでした。
そのとき隊長から声をかけられ、「休暇をやるから石巻まで
両親を助けに行け」と言われたのです。常に隊とは連絡をとれるようにし、
災害派遣がかかれば直ちに富士に戻るということで、
弟の車で一緒に石巻に向かうことにしました。
しかし途中ガソリンスタンドで給油できる見込みはありません。
往復に1000キロくらいはかかります。
そこでガソリンの携行缶を部隊から借り、
車載して持っていくことにしたのです。
富士のガソリンスタンドもガソリン不足で1人20リットルまでと
制限がありましたが、宮城まで両親を助けに行くといったら、
快く80リットルまで入れてくれました。
 東北自動車道は災害派遣専用になっているので4号線を行きます。
途中、車はほとんどなく、高速並みのスピードで飛ばすことができました。
石巻はなかなか水が引かず、腰まで水につかる覚悟でしたが、
私が着いたころはちょうど水が引いたところでした。
家に着いたら両親は半分つぶれた家の2階に避難していて
無事でした。3日間ペットボトルの水と食パンだけで生活していたそうです。
 津波の爪痕は生々しく、現実とは思えませんでした。
何かできることはないかと考えましたが、躊躇はできません。
すぐに両親を車にのせ、埼玉の自宅に向かい、そこに両親を
残して富士に向かいました。
着いた直後、原子力災害派遣がかかったのです。すぐに3名の
化学科隊員と一緒に器材を準備し、郡山駐屯地に向かいました。
そこは中央特殊武器防護隊や配属の各化学科部隊が集結していたのです。
 隊長の岩熊1佐は私の後輩です。中央特殊武器防護隊は
以前101化学防護隊といい、私も隊長をしていましたので、
ほとんどの者は知っています。
私が来る直前に3号機で爆発があり、岩熊1佐ほか3名が大けが
をして放医研から帰ってきたばかりでした。重症の者もいましたが、
応急手当てをしてすぐに現場に戻ってきています。
 化学科隊員は数が少ないのです。これは大変なことになったと思いました。
部隊は旧食堂に集められ、寝袋で仮眠しています。床はコンクリート
なので冷たく、体を休める状況ではありません。疲労の色は濃かった
のですが、みな、事の重大性を認識してか士気は旺盛でした。
元部下に「大丈夫か?」「怖くはないか?」など声をかけましたが、
ある若い隊員が「わくわくします」と言ったのには驚きました。
重大な危機にあって、自分たちの日ごろの訓練の成果が発揮される時
が来たわけで、ある意味精神が高ぶっていたのかもしれません。
 あるテーブルの上を見ると手紙やハガキが集まっています。
日本全国からの励ましの手紙でした。なかには小学校低学年と
思われる生徒の書いた手紙があり、
「防護隊の皆さん、日本を助けてください」とありました。
 私は岩熊隊長と調整後、直ちに偵察のためJヴィレッジへ向かいました。
そこは中央即応集団の前方指揮所であり、県、警察、消防、
原子力安全・保安院、東電の調整所でもあり、東電の補給基地でもあります。
Jヴィレッジはプロサッカーリーグの練習場でしたが、今は災害派遣の
最前線と化しています。観光バスがひっきりなしにやってきて
日雇い労務者が次々と降りてきます。
現場に行くのでしょうが、放射線の教育や健康診断をちゃんと受けて
いるのだろうかと心配になりました。中は乱雑になっており、
職員が着の身着のまま逃げたようです。
仮眠所の食堂は食材がそのままで腐食が始まり、食
堂中ものすごい異臭がしていました。もちろん暖房もなく、
においと寒さで眠ることができません。
水はペットボトル、トイレは水が出ないので外に仮設トイレがありました。
 本来なら防災担当の幹部が国から来てしっかり各組織をまとめねば
ならないのでしょうが、中央即応集団副司令官が仕切っています。
やはり組織をまとめるのは自衛官がいちばん訓練を受けていて得意分野
なのでしょう。たまに政治家の方が激励に来るのですが、
そのたびに会議や作業が中断していました。
 私は化学防護車に乗り込み、4号機の偵察に行くことになりました。
ドライバーと車長は乗り込む前に車に手をあわせて「私たちをお守りください」
とつぶやいています。
私が乗ろうとすると車長が「本当に一緒に来るんですか? 何があっても知りませんよ」
と言います。とくに恐怖は感じませんでしたが、現場に近づき、破壊された原発
を目の前にした時、その破壊力の大きさに愕然として緊張のあまり
尻の穴がむずむずしたのを覚えています。われわれはとてつもない
怪物と戦っている。そんな感じです。
 偵察も無事終わり、除染も終了したところでへとへとになってしまいました。
被ばく防止のため、マスクや鉛の防護衣を着て長時間の行動は心身ともに
消耗します。しかし偵察任務は終わりません。化学防護車は偵察のほか、
放水隊を先導して現場に戻り、偵察した放水場所に消防車を誘導する
任務があります。
 わたしは実験隊での業務があるため、やむなく交代要員を残して
富士に帰りましたが、防護隊の隊員は数カ月間、ここにとどまり活動
を続けていたのです。地下鉄サリン事件の時もそうですが、
自衛隊の化学科隊員はある意味実戦を経験しました。
最後までよく頑張ったと思います。私は同じ職種で誇りに思います。
 この漫画を描いている時、長谷部2佐が原発で活動中、娘の愛ちゃんが
それをテレビで観るシーンを描いていて当時を思い出し、涙が止まりませんでした。
この漫画を岩熊1佐に見せると、「ここに描かれているのは私ですか? 
ほろっときました」と言ってもらえた時はこれを描いてよかったと
つくづく思いました。

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[石原ヒロアキTwitterより] けっして語られることのない、自衛官と家族の日常。ちょっと切なく、心あたたまるハートウォーミングな短編です。
(つづく)
(いしはら・ひろあき)
【著者紹介】
石原ヒロアキ(ペンネーム)
1958年、宮城県石巻市生まれ。青山学院大学卒業後、陸上自衛隊入隊。第7化学防護隊長、第101化学防護隊長を歴任。その間地下鉄サリン事件、福島第1原発災害に出動。2014年退職。学生時代赤塚賞準入選の経験を活かし、戦争シミュレーション漫画『ブラックプリンセス魔鬼 全10巻』(電子書籍版)を発売中。『漫画で学ぶサイバー犯罪から身を守る30の知恵』(ラック サイバー・グリッド・ジャパン・並木書房)の漫画を担当。家族3人(一女)。本名:米倉宏晃。
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