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武士道精神入門(最終回)  武士道精神まとめ:武士道精神と死生観

time 2013/08/16

300px-Nihontou74▽ ごあいさつ

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

今年3月から掲載してまいりました「武士道精神入門」も、今回を以って最終回となります。

 日本人が長い歴史を通じて培い、磨き上げ、守り続けてきた価値観や伝統精神である『武士道精神』について、武士道概説、武士たちが遺した教え、武士道精神の実践の三つに区分して、皆様とともに理解を深めてまいりました。

 最終となる今回は、生と死を一体としてとらえる「死生観」というものをテーマに「武士道精神」の本質を考えてみたいと思います。

 恥ずかしながら、私自身が「武士道精神」の体現者でもなければ、武道や武芸の達人でもありませんが、それでも、武に生きた先人達が今を生きる我々に遺してくれた「日本人としての精神的価値」を多少なりとも紹介でき、皆様とその感動を共有できましたならば、これに勝る喜びはありません。

 半年間にわたり、お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

 それでは、本題に入ります

【第25回】武士道精神まとめ:武士道精神と死生観

  死を説き生を説いて、死と生とを弁ぜず。
  而して死と生とを忘れて死と生との地を説け。(闘戦経 十二章)

(訳文)死とは何かを説き、生とは何かを説こうとしても、死と生とはわかるものではない。むしろ、死と生とを忘れ、死すべき地と生きるべき地とを説け。

▽ 人間にとって「死」とは何か

 「死を視ること生のごとし。白刃、前に交りて、死を視ること生のごとき者は、烈士の勇なり。」 荘子(古代シナの思想家)

 「死を視ること帰するがごとし。三軍既に成る。士をして死を視ること帰するごとくならしむ。」 韓非子(上に同じ)

 このように、死というものを「生」のように、あるいは「帰する」かのように視るとは、一体どのようなことであろうか。人間は誰しも、本能的に「死」を恐れる。このことは、実戦を体験した者の多くが、「人間が、最も恐れるのは、死である」と異口同音に語っていることからも明らかである。

 18世紀のドイツの哲学者・カントは、

 「死といふものは、決して恐るべきものではない。ただ『死という観念』が、人を恐れさせるのである」

 と述べ、死はあたかも眠るがごときもので、快感を件なうものでさえあると主張した。しかし、人間は、生れるときのことを知らないのと同じく、寿命を全うして死ぬときのことも、知ることができないのである。

 イギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561~1626)は、「人は生れるがごとく死ぬ」という。しかし、人間が病気や負傷により死に至る時には、必ず苦痛を件なう。ベーコンによれば、それは生きようとする力があるためで、この苦痛を脱しようと努めるところに、生命のカが存在する。人間が生に執着している間は、苦痛をまぬがれることができない。それでも、死そのものには、本来、何らの苦痛も伴なわないのだという。

▽ 科学知識による「死」の理解

 我々の肉体は、いつかは腐れて朽ちるようにできており、これを永遠に生かすことは不可能である。そうであれば、人間の死とともに、その精神はどうなるのであろうか。

 肉体は物質であるが、その物質とエネルギーとは区別し難いものである。物質が変化してエネルギーを生じ、そのエネルギーは不滅である。精神とは、この不滅なエネルギーの一種であり、「電気」であるとする学説がある。

 我々の肉体を構成している幾十億の細胞は、ことごとく電気をもって飽和されており、その人間の頭部に陽極があり、肝臓に陰極かある。この両極を連結する電線が神経であり、電流は常にこの中を流れている。電気ウナギや提灯(ちょうちん)アンコウなどは、体内に強烈な発電機能を有するが、人間やそれ以外の動物には、そうした機能がなく、身体の全部にわたって電気が飽和状態におかれている。

 こうした動物が肉体を動かすための「電気信号」を伝える電流は、神経細胞において発生する。神経細胞の内と外では、カルシウムやナトリウムなどのイオン濃度が違っていて、それによる電位差が存在する。そこで、細胞膜に存在するチャンネルが開くと、それらのイオンが細胞の内と外を移動する事になり、その際に電流が発生するのである。時により、暗夜に狐の尾の先っぽや、人間の頭部から電光を発することがある。特に、意志の強い人や、感覚の鋭敏な人には、この電気が強いと言われている。

 一方で、宇宙には、全体を貫く巨大なマグネティズム(磁気・磁場)がある。それがどこにあるかは分らないが、磁石が北の方角を指し、大宇宙に存在する幾億万の天体が北極星を中心にして整然と旋回し続けていることから、確かに、どこかに、マグネティズムの大集圏が存在していることは間違いがない。また、太陽の表面に十年ごとに現れる黒点は、磁石面である。太陽には表面に対流層が存在し、温度の高い内部との間に物質の循環があるが、黒点には地球の磁場の一万倍にも及ぶ強い磁場が存在し、その磁気圧の影響で対流が妨げられる。これによって、黒点の温度が太陽表面の温度(約5400 ℃)よりも1000 ℃から1500 ℃ほど低くなるため、黒く見えるのである。そして、この黒点が多いか少ないかが、地球の温暖化や寒冷化をもたらしてきたのである。

 こうした我々の身体中の陰陽電気が「中和」して肉体を離れ、宇宙の電気に合する時、ここに「死」がおこる。それゆえ、我々が死ぬということは、我々の持っている小電気が、宇宙の大電気に合する(帰する)ことである。科学的には、こうした宇宙の「巨大なマグネティズム」を「神」と捉え、我々人間をはじめとする生物が所有する「微小なマグネティズム」を「霊魂」と捉えることができる。このように考えれば、死とは「霊魂」と「神」という同じマグネティズムが合することであり、何ら恐れるべきものではない、ということになる。

▽ 死の恐怖を克服させた名将たちの言葉

 人間が蛇やトカゲを恐れるのは、猿から遺伝してきた「恐怖の本能」によるという。猿は全ての蛇を見ると、気絶して木から落ちるほど恐れるという。人間が青天将やヤマカガシを見てもさほど恐れないのは、それらに毒がないことを知っているからであり、ハブやマムシなどの毒蛇は、やはり恐れる。しかし、猿はこうした識別ができないため、どの蛇を見ても恐れるのである。このように、恐怖の多くは「知識の欠乏」に起因するものであり、知性が発達すれば、世の中で恐怖心を起すものは減っていく。

 こうした知性の一端は、名将たちが戦場において、死を恐れて戦線から逃げてきた兵を叱りつけた言葉の中にも見出すことができる。

 「卑怯者、お前は永遠に生きようとでも思っているのか。」 フリードリヒ1世(プロイセン王)

 「戦友よ、死生は運だ。お前が死なねばならぬ時は、地下数十メートルの穴に隠れていようとも、敵弾はお前を探して命中するだろう。だが、お前が生きている運命ならば、弾雨の中でも敵弾はお前をよけて行くだろう。進め、戦線へ。」 ナポレオン(フランス皇帝)

 「兵士よ、お前は勇士ではないか。逃げるのは卑怯だ。おれも逃げたいと思うが、職分を思い、国家への義務を思う時、ここを退けないのだ。さあ戦線へ出て、一奮戦しようではないか。」 ウェリントン(イギリス公爵)

 このように、同じ場合においてフリードリヒ1世は「人間は死ぬべきものだ」という事実によって兵を勇気づけようとし、ナポレオンは運命観を、ウェリントンは義務感をもって恐怖心を克服させようとした。

 これらとは対照的に、会津白虎隊の中にあって自刃し、奇蹟的に生き返った飯沼貞雄翁は、次のように語っていた。

 「会津武士の教育ばかりではない。すべて武士たる者は、一朝有事の際、主君のために身命を捧げることが、忠たり孝たる最善の道であると教育されているので、死に直面すると、平生の覚悟が現れて、卑怯な考えなど決して起るものではない。実際、自分の体験から言っても、死を視ること帰するがごときものがあった。平然として自刃し、絶息の瞬間まで心身に余裕があり、また、さほど苦痛を感ずるものでもない。」

▽「武士」対「武士」の最後の死闘・田原坂

 元白虎隊士・飯沼貞雄翁によれば、欧米流の科学知識、事実への諦らめ、運命観、義務感といったものを超え、日本人をして「死を視ること帰するがごとく」させるものは、「忠節心」であるという。そうであれば、西南の役で自ら「賊軍」となり戦死した西郷隆盛の死を、我々はどう理解すべきであろうか。西郷以下戦死した旧薩摩藩士は皆、未だに靖国神社にも祀られていない。

 西南の役における官軍の活躍を称えた軍歌に「抜刀隊」がある。その歌詞は以下のとおりである。

 一、我は官軍我(わが)敵は、天地容れざる朝敵ぞ
   敵の大将たる者は、古今無双の英雄で
   之に従う兵(つわもの)は、共に慓悍(ひょうかん)決死の士
   鬼神(きしん)に恥じぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を
   起こしし者は昔より、栄えし例(ためし)あらざるぞ
   ※敵の亡ぶるそれまでは、進めや進め諸共に
    玉散る剣(つるぎ)抜き連れて、死ぬる覚悟で進むべし

 二、皇国(みくに)の風(ふう)と武士(もののふ)の、その身を護る霊(たましい)の
   維新このかた廃(すた)れたる、日本刀の今更に
   また世に出ずる身の誉(ほまれ)、敵も身方も諸共(もろとも)に
   刃(やいば)の下に死ぬべきぞ、大和魂ある者の
   死ぬべき時は今なるぞ、人に後(おく)れて恥かくな
   ※再唱

   (以下略)

 ここに出てくる「敵の大将たる者」とは西郷隆盛、そして「之に従う兵(つわもの)」とは決起した旧薩摩藩士らである。西南戦争最大の激戦地となった田原坂において白兵戦が発生した。官軍側の兵士は、白兵戦の経験が無い農民や町人上がりの徴兵であったが、西郷軍は白刃を振るってこれらに斬り込んだ。

 薩摩の剣術として名高い示現流の太刀は凄まじく、一度斬り込まれたら手に負えるものではなかった。これに対抗するため、戦場に動員されていた警察官から旧士族の者たちを集めて「抜刀隊」が臨時編成された。その多くは旧会津藩士であり、戊辰の役からの積年の恨みを晴らすべく、凄まじい死闘を繰り広げた。これが日本史上最後の「武士」対「武士」の戦(いくさ)であった。そして、日本における武士という階層は、名実ともに「敵も身方も諸共に刃の下に死んだ」のであった。

▽ 鎮台兵を破るのは、この青竹でよか

 明治5(1872)年、西郷隆盛が元帥近衛都督に任ぜられた時、祝いに伺った者がこれを祝福した。すると、西郷は云った。

 「ありがとう。俺の死ぬ時が、いよいよ近づいてきたようじゃ。」

 「はて、どういう思し召しでございましょうか。」と尋ねる相手に、西郷は傍らの桐の箱を開いて見せると、その中には燦然たる元帥近衛都督の制服が入っていた。

 「これをご覧。これを着たら、自分で陣頭に立たねばならぬ。戦があったら、きっと死ぬでの・・・。」

 翌年、西郷はこの軍服を着て、明治天皇にお供して千葉習志野に行軍した。折悪しく豪雨となり、ずぶぬれになりながらも、西郷は夜通し陛下の御座所である天幕の外に、決然と身構えて立っていた。この年の1月、徴兵令が公布され、国民全てが兵としての義務を負うようになっていた。そして5月、西郷は日本陸軍で最初の陸軍大将兼参議に任ぜられた。

 朝鮮使節派遣をめぐる対立に敗れると、西郷は鹿児島に帰って農業に従事した。明治7(1874)年、旧士族による反乱である佐賀の乱の鎮定への出動を拒否し、その後、鹿児島に私学校を設立して郷党の青年子弟を集めて、道義の何たるかを教えた。その間も萩の乱や神風連の乱について耳にするが、一切これらに動じなかった。

 しかし、明治10(1877)年1月、私学校の生徒が元勲西郷に対する政府の冷遇振りに憤って決起した。大隅の一角、小根占(こねじめ)の山麓で狩をしていた西郷の下に、弟の小兵衛が駆けつけてきて急変を知らせると、西郷は「しまった。」とただ一語を発して、しばらく歎いていた。
山を下りて家に帰り、いよいよ死を決して家を出る時、ただ一つ家族に遺言し、その後、城山で戦死するまで、一度も家には帰らなかった。

 「俺は朝敵となった。が、お前らは不義の臣となるな。」

 そして、私学校へ急行した。生徒らに囲まれて決起を促された西郷は、一言した。

 「おいの一身は、おはん達にお任せ申す。」

 勝つべき戦であれば、指揮官は「おはん達の命は、俺が預かった。」というべきであるが、西郷の言葉は全く逆であった。そして、同年2月、西郷と旧薩摩藩士は、政府尋問のために鹿児島を出発した。この時、桐野利秋は六尺余りの青竹を提げて言った。

 「鎮台兵を破るのは、この青竹でよか。これが折れんうちに、東京へ行けるじゃろう。」

 しかし、西郷軍は大挙して官軍が守備する熊本城を包囲したが、遂にこれを落とせなかった。この時、西郷はおもむろに言った。

 「これは、実に喜ばしいことじゃ。」

 傍らの者が驚いて理由を聞くと、このように答えた。

 「俺は思うておった。天下に兵と称すべきものは、近衛兵ばかり。鎮台兵などは、庶民で烏合の徒じゃ。一発の砲声にたちまち四散するじゃろうと。ところが、この熊本城を見ると、鎮台兵も立派なものじゃ。俺の目は過っておった。これならば、日本全国を挙げて兵にしても、決して不可はない。喜ばしいことじゃ。」

▽ 晋どん、晋どん、もうこのへんでよか・・・

 8月、宮崎県の長井村で包囲された西郷は、陛下から賜った陸軍大将服を焚き火で焼いた。維新の大業の中で誰よりも西郷を信頼し、こよなく愛され給うたにもかかわらず、西郷を「賊」とせざるを得なかった 明治天皇の大御心、その悲痛の御思いを誰よりもわかっていたのが、西郷隆盛その人であった。しかし、今、この戦を経ずして、明治維新の大業は「完結」しなかったのである。

 西郷軍は、可愛岳(えのだけ)を超えて官軍の包囲網を破り、鹿児島に戻って城山に籠った。

 9月24日、西郷軍は城山を下って総攻撃に打って出る。その途中、西郷隆盛は城山麓の岩崎谷で腹部に銃弾が当たり倒れる。すぐに、上半身を起こし、傍らの別府晋介を見て、声をかけた。

 「晋どん、晋どん、もうこのへんでよか・・・。」 そして、別府晋介の介錯により自刃。享年五十

 徳川幕府によって設けられた「武士」という階層を完全に消滅させ、四民平等の社会を実現するには、こうして「戦う」よりほかに手立ては無かった。憤懣やるかたなき士族たちに、武士としての誇りをかけた「最期の戦い」の場を与え、そして遺憾なく散らせた。その一方で、これからは農民や町人上がりの徴兵でも、武人として立派に戦えることを、実戦を通じて確認した。たとえ自分の立場は「賊」であろうとも、これほど 陛下のお役に立てたことはない。これで死んでも本望である。

 ・・・もう、このへんでよか・・・

 西郷隆盛は、自ら陣頭に立って「武士」を消滅させる一方で、全ての国民をその精神において「武士」にまで高めた。西南の役から17年後の日清戦争、開戦劈頭の戦いにおいて、敵弾に斃(たお)れた一兵卒が遺した言葉が、それを証明していた。

 ・・・中隊長殿、戦死してよろしいでありますか・・・

 自らの天命に忠実に生き、十分にその務めを果たし、死に臨んで一点の悔いもなく、さわやかな心境でいられる。これこそが、武士道精神がもたらす「死生観」ではなかろうか。

   死して不朽の見こみあらば、いつにても死ぬべし。
   生きて大業の見こみあらば、いつにても生くべし。
   僕が所見にては、生死を度外に措いて、ただ言うべきを言うのみ。

                          吉田松陰

 (「武士道精神入門」 完 )

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