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彭徳懐(中共軍元帥)

彭徳懐(中共軍元帥)

■彭徳懐率いる人民義勇軍の大反攻と砕かれたマッカーサーの野心

 マッカーサーの11月攻勢は、反攻の準備を完了し手ぐすね引いて米軍を待ち構えていた彭徳懐率いる人民義勇軍が仕掛けた罠の中に飛び込む形となった。人民義勇軍の最初の攻撃は、朝鮮半島西部に所在した米第8軍に向けられ、次に米第10軍団へと攻撃の鉾先が向けられた。

その結果、米第8軍は敗北し、米第10軍団は奇跡的に退却に成功し、朝鮮半島の戦争は新たな段階に突入した。米軍が展開した苦痛に満ちた防禦戦闘と退却戦は、「米軍の歴史上においてもっとも英雄的な戦闘のなかの1つ」と公刊戦史で評されるほどの戦闘であった。

 人民義勇軍が最初に血祭りに上げたのは米第8軍の右翼を守る米軍と比べ練度が劣悪な韓国第2軍団で、攻撃を受けた韓国第2軍団はほぼ壊滅的状態となって潰走した。

この韓国第2軍団の潰走により、米第8軍隷下の第2師団は、荒涼たる山岳地帯を浸透し、退却してくる米軍に対し待ち伏せ攻撃を仕掛けようと待ち構えている人民義勇軍の真っただ中を退却しなければならず、米第8軍司令官ウォルトン・ウォーカー陸軍中将は困難な退却作戦を指揮することを強いられた。

特に長津湖東側に所在した第32連隊は人民義勇軍の待ち伏せ攻撃に遭遇し包囲され、連隊長が負傷し捕虜となる事態となったというから相当の苦戦である。

前回指摘したように、ウォーカーはマッカーサーの意見に反対したがため、マッカーサーから衆人環視の状況下で無視される扱いを受けた人物である。その彼が、いまや皮肉なことにマッカーサーが犯したミスをフォローする立場におかれることとなったのである。

11月28日、ウォーカー中将は、人民義勇軍20万人以上が彼の指揮する米第8軍に対し攻勢作戦を展開中であると東京の極東軍司令部に報告した。

その前日の11月27日には、人民義勇軍は、長津湖周辺に所在する米海兵隊および米第7師団に攻撃を開始した。

この地域を担当する米第10軍団の軍団長ネッド・アーノルド少将は、マッカーサーの楽観的な想定に反して人民義勇軍の大反攻に曝されている悪夢のような現実を突き付けられただけではなく、人民義勇軍部隊によって退路となる後方連絡線がほぼ遮断されていることに気付いた。

 11月28日付の国防総省の統合戦況日報(Joint Daily Situation Report)は、人民義勇軍の攻勢目的に関する極東軍司令官マッカーサーの認識を以下のように述べている。

「マッカーサーは、共産中国の最終目的が朝鮮に所在するすべての国連軍の完全な破壊を企図した決定的な一撃にあることは疑いない、と言明している」。

また、同日、マッカーサーは声明を発表し、「中国軍20万人余が北朝鮮に侵入している。これにより我々は全く新しい戦争に直面することとなった。遺憾ながらこの事態は国連軍総司令部の権限では解決できない」と述べている。

共産中国の朝鮮戦争への介入を心配する立場から、マッカーサー主導の鴨緑江へ向かう11月攻勢に対し懸念を表明する人々が存在したし、人民義勇軍がすでに鴨緑江を渡河して北朝鮮領内に侵入しているとの情報もあったが、マッカーサーはこうした周囲の意見や懸念を無視してきた。

しかし、ここに至ってマッカーサーも朝鮮半島に所在する国連軍が破滅の淵に立っていることをようやく理解した。

マッカーサーは東京で開催された緊急会議に主要な司令官と参謀を召還し、第8軍に平壌に向かって南方に退却することを命じ、第10軍団に長津湖から北朝鮮東海岸部への退却を命令した。

統合参謀本部は、遅まきながらマッカーサーにその攻勢作戦任務を放棄することを命じることによりマッカーサーの出した命令を承認した。こうして、11月攻勢を立案実行したマッカーサーの野心――朝鮮戦争での迅速な勝利と統一朝鮮――は挫折したのである。

■情報の失敗を呼び込んだ不幸な結びつき ~マッカーサーとウィロビー~

 中朝国境近くの山岳地帯で人民義勇軍により国連軍が敗北した責任の所在は、マッカーサーとその上級情報幕僚・チャールズ・A・ウィロビーにあることは間違いない。マッカーサーは、国連軍司令官・極東軍司令官としての彼の地位が有する責任という意味で、11月の敗戦に関し最終的な責任がある。

マッカーサーの決断が国連軍を壊滅に近い状態に追い込んだのであり、より重要なことであるが、彼が意図した迅速な戦争終結どころか、朝鮮戦争は現代まで継続する泥沼の戦争となったのであるから、それは当然のことである(1953年の平和協定は、「休戦」であって「終戦」ではない)。

しかしながら、「司令官」であるマッカーサーが、G2部長(参謀部第二部部長。第二部は情報担当)であるウィロビーの助言と勧告に依拠してその決断を行っていたことも、また確かである。

ウィロビーは、1942年にマッカーサーの情報幕僚となって以来、日本占領期のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)のG2部長(情報部長)の時代も含め、太平洋戦争から朝鮮戦争に至る間、約10年間の長期間にわたりマッカーサーの上級情報幕僚として彼に仕えてきた。

ウィロビーがマッカーサーの上級情報幕僚として長期間在職し続けたことは、ウィロビーが、マッカーサーがアクセス可能な敵軍に関する情報をほぼ排他的ないしは独占的に支配することを確実なものとした。

マッカーサーとウィロビーという、この二人の個人的で職務的な性格の組み合わせが、指揮下にある兵士個人だけではなく、朝鮮戦争における米国の戦略目的に破滅的な影響をもたらす結果となったのである。

 マッカーサーは、第8軍司令官ウォーカーのようにマッカーサーの考えに挑戦する人々を孤立させ、イエスマンが報いられるような体質を極東軍総司令部内に醸成させた。マッカーサーが周囲の疑問や反対の声を押し切って成功させたクロマイト作戦(仁川上陸作戦)の成功が、マッカーサーが最も信頼する幕僚以外の人々による賢明な助言に耳を傾けることを拒絶することにつながった。

たとえば、11月21日、ジョージ・マーシャル国防長官が主催し朝鮮情勢に関する研究会議が開催された。

この会議で、(1)中国国境に数マイルの緩衝地帯を設定する、(2)ソ連国境との間に30キロの緩衝地帯を設定し、清津以北に侵攻しない、との提案が出されたが、マッカーサーはこれを拒否している。

こうしてイエスマンに囲まれ「裸の王様」となったマッカーサーは、部下の将軍たちや、統合参謀本部だけでなくマーシャル国防長官やトルーマン大統領からの助言や勧告さえも軽視するようになってしまったのである。

 マッカーサーは、「朝鮮戦争が最終段階にある」という確信に基づいて、1950年11月に鴨緑江へ向けて攻勢作戦を実施する決断を下した。

1950年10月15日にウェーク島で開催された統合参謀本部議長オマー・N・ブラッドレーとマッカーサーとの協議で、第8軍は1950年のクリスマスまでに日本に引き揚げ、可及的速やかに朝鮮半島から欧州へ1個師団を配置転換するという計画が決定された。

つまり、歴史家のトランバル・ヒギンズの言葉を借りるならば、ブラッドレーとマッカーサーは、「あらゆる点で、最終的勝利が確実であると決めてかかっていた」のである。また、11月24日には、清川江南川に所在する基地を視察したマッカーサーは「クリスマス前に戦闘は終わる」と述べている。

このような雰囲気が、日本に所在する極東軍司令部の中から朝鮮半島の前線にある塹壕まで、極東軍のあらゆる場所で蔓延していた。このような「戦勝ムード」が、中華人民共和国政府による声明の形で発せられた戦略レベルでの明確な警告や、鴨緑江を越え北朝鮮領内に人民義勇軍が侵入したという戦術レベルでの目撃情報にもかかわらず、マッカーサーを司令官とする国連軍司令部をして、11月24日の最終攻勢作戦の決行と、快適な日本の駐屯地への迅速な引き上げの準備を決断させることとなったのである。

 マッカーサーが仁川上陸作戦に成功し北朝鮮軍を撃破した後、経験豊富な情報将校ウィロビーは、鴨緑江に向けて前進することの危険をマッカーサーに警告するために十分な情報を得ていた。ウィロビーは毛沢東による警告といった戦略的レベルの情報や前線における人民義勇軍の目撃情報といった戦術的レベルの情報に基づき、共産中国の朝鮮戦争への介入を予想する機会を何度も見逃してしまった。この原因についてハルバースタムは、ウィロビーがマッカーサーに渡す情報は「慎重に細工が施されていた」という問題を指摘している。つまり、北朝鮮領内での人民義勇軍に関する情報が正しければ正しいほど、マッカーサーが強く希望する鴨緑江への攻勢作戦の実行を妨害する要素になりかねなかったということである。そして、ウィロビーが情報に「細工を施した」ツケは大きなものだった。米第8軍と米第10軍団が破滅の淵に追いやられ、朝鮮戦争はこのあと休戦まで約3年近く続く長い消耗戦――アコーディオン戦争(戦線が朝鮮戦争の南北を何度も往復したことに由来する朝鮮戦争の俗称)――にその性格を変えたのである。

また、マッカーサーが朝鮮半島の戦場から遠く離れた東京の第一生命ビルに司令部を置き作戦の指揮をとったことにも問題があった。米第2師団所属第38戦車中隊の中隊長ジム・ヒントン大尉は、「マッカーサーは戦場で一晩たりとも過ごしたことはなかった。第一生命ビルの連中は地図上でしか考えていない。別の戦争を別の場所で戦っているのだ」と思ったと述べている。地図と戦場の現実との間には空間の歪みが存在する。

地図の上では、命令が前線の現実以上に実行容易なのである。確かに、極東軍司令部から師団レベルまでの通信連絡は良好であったが、いかに技術的に進歩した米軍であっても最前線の小隊レベルの通信機器はいまだに貧弱なのであり、最前線では、マッカーサー率いる司令部参謀が第一生命ビルの一室の地図の上で兵棋を動かすようには、何事もスムーズに動かないのであった。

■ウィロビーの人物像

 朝鮮戦争が勃発した1950年6月までに、チャールズ・アンドリュー・ウィロビー少将は米陸軍が提供できる最も経験豊富な情報将校の1人であったことは間違いない。1892年、ドイツのハイデルベルクでドイツ人の父と米国人の母との間に生まれたウィロビーは、幼少期はアドルフ・カール・ヴァイデンバッハという名前であったが、大学卒業後に米国国籍に帰化し母親の姓であるウィロビーを名乗るようになった(資料によって、改姓は第一次世界大戦従軍後とするものもある)。ウィロビーは18歳で渡米し陸軍に入隊し、除隊後にゲティスバーグ・カレッジを卒業し、女学校で言語学を教えた。第一次大戦勃発後に陸軍に再入隊しフランスなどで勤務したが、実戦は経験しなかった。第一次世界大戦終結後、ウィロビーは南アメリカのエクアドルやコロンビアなどの駐在武官を務めたり、カンザス州フォート・レブンワースにある陸軍指揮幕僚大学の教官を務めたりしたが、この経験がウィロビーに国際情勢や戦略レベルでの戦争に対する彼の観点に洞察力を与えた。また、マッカーサーとの人脈ができたのもフォート・レブンワースでの勤務時代であった。1940年、ウィロビーは、フィリピン駐留の米軍総司令部G4(参謀第4部。兵站担当)の参謀副長に任命され、1942年にマッカーサーの情報参謀となり、以後、マッカーサーが解任される1951年4月まで上級情報幕僚としてマッカーサーに仕えた。

 第二次世界大戦および日本占領期におけるウィロビーの経験がマッカーサーに対する彼の情報分析や勧告に影響を与えていた。なぜ、ウィロビーが、起きる可能性の高い中国の朝鮮戦争への介入について、司令部に警告を発しなかったのかという点を確認する際に死活的に重要な点は、ウィロビーがこのような情報源から情報を集積・統合した方法にある。ウィロビーとマッカーサーとの長期にわたる関係が極東軍司令官の側近たちの間におけるウィロビーの地位を強固なものとし、マッカーサーの意志決定に影響を与える彼の影響力を助長させることにつながっていたが、このことも問題であった。

ウィロビー率いる極東軍司令部G2(情報部)は、11月1日の早い時期に中国共産党が朝鮮戦争に決定的な介入を行う意図と能力を有する旨の確実な情報を多数「入手」していたが、その情報から人民義勇軍が攻撃を準備していることを「評価」することに失敗した。さらに、マッカーサーが鴨緑江への攻勢を開始する3週間前に、ウィロビーは人民義勇軍が介入するという徴候に接していた。

したがって、次のような多くの疑問がわいてくるのが自然であろう。「伝説的な戦争指導者」マッカーサーと米陸軍において最も経験豊富な情報将校の1人であるウィロビーという能力と経験の点で米軍でも随一の2人が、なぜ中国共産党が朝鮮戦争に介入するであろうということを予測することに失敗したのであろうか?

また、ウィロビーが入手していた情報は、毛沢東が発した明確な警告や満州における人民義勇軍の戦争参加のための広範な諸準備が共産中国による戦争介入への序曲であると評価するのに十分なものであった。とするならば、極東軍司令部は、1950年11月初旬に北朝鮮の山岳地域での目撃情報があった人民義勇軍による重大な脅威に対処する準備をなぜ怠ったのであろうか?

さらに、中国国境に数マイルの緩衝地帯を設定すべきだとするマーシャル国防長官の勧告に応じることなく中朝国境の鴨緑江に向けて攻撃を続行したマッカーサーの決断や、共産中国が北朝鮮領内に大規模部隊を投入したとする多くの証拠が存在したにもかかわらず共産中国が朝鮮戦争に介入しないと結論付けたウィロビーの情報分析に影響を与えた制度的要因とはどのようなものであろうか?

そして、ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法やマッカーサーとの個人的関係にどのように影響しているのだろうか?

勝利を得る間際にあったマッカーサー率いる米軍主体の国連軍が1950年11月の最終週に人民義勇軍の反攻により朝鮮戦争早期終結の希望をどのようにして挫かれたのかという点を理解するためには、以上のような疑問のどれもが、とても重要な論点である。

次回以降の連載で、上記の疑問点を検証してみたいと思う。

(以下次号)

(長南政義)

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