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創刊2000年10月のメールマガジン「軍事情報」です。

mac□前回までのあらすじ

前回、マッカーサーが司令官を務める極東軍司令部内の閉鎖的な組織文化が、極東軍と麾下部隊との関係や極東軍とワシントンの重要な政府機関(統合参謀本部・国務省・CIAなど)との間の関係に大きな影響を与えていたことを指摘した。

マッカーサーは極東軍司令部内での意見具申のみならず、外部からの意見具申をも嫌う傾向があった。特に、統合参謀本部からの意見に対してはこの傾向が強く見られた。

仁川上陸作戦へとつながる作戦立案過程の際に、マッカーサーは統合参謀本部に対し作戦計画作業の進展についてあまり報告しなかった。この当時のマッカーサーは兵力要求に関する書類を除いては作戦計画案を統合参謀本部に提出せず、最小限の作戦計画の概略のみを統合参謀本部に提出しただけであった。

また、極東軍司令部参謀第2部(G2)が朝鮮戦争に関する情報活動を統制していたことは、CIAが独立して行う情報分析に悪影響を与えた。さらに、CIAが極東軍司令部参謀第2部に情報分析を依存するようになった背景には、当時のCIA長官ペデル・スミスが、アジアにおける経験不足を補うために、第二次世界大戦を太平洋戦域で戦ったウィロビーによる朝鮮半島に関する情勢分析に依存するようになった点も存在した。

朝鮮戦争開戦前の1950年6月頃から、朝鮮半島においてCIAの諜報活動の中心的人物であったのが、ジャック・シングローブであった。シングローブの指揮の下で朝鮮半島において諜報活動にあたっていた諜報員たちは、北朝鮮による6月の韓国侵攻を予期するなど精確な情報報告書を提出していたが、この当時のシングローブはウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部と対抗関係にあったため、シングローブの諜報員が集めた情報がマッカーサーを含む上層部の意思決定に強い影響を与える状態ではなかった。

ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部とCIAとの間のぎこちない関係が、両機関の理想的な協力関係の実現を妨げ、両機関の調整されざる諜報活動につながる結果となった。

では、なぜ、極東軍司令部とCIAとは険悪な関係になったのであろうか?また、極東軍司令部と国務省との関係はどのようなものであったのか?この点を今回は検討したい。

▼マッカーサーおよびウィロビーによるCIA不信

極東軍司令部とCIAとの険悪な関係は、マッカーサーおよびウィロビーがCIAのことを全く信頼していないことにその原因があった。

ウィロビーは自著『マッカーサー 1941年~1951年』の中で、1950年11月21日に自身の執務室に送られてきたCIAの報告書が「中国は大規模では朝鮮半島に介入しないだろう」と述べていたと書いている。ウィロビーは、CIAが目前に迫った中国による反攻作戦の戦略的徴候と警告を提供しなかったことへの告発としてこの事件を使っている。

しかし、ウィロビーは、CIA長官ベデル・スミスが1951年1月に自ら東京にいるウィロビーを訪問するほどまでにCIAと極東軍司令部参謀部第2部との関係が険悪であったという事実には言及していない。

国務省内部で回覧されたメモにはスミスの日本訪問は極東における情報活動を調整する最後の努力であると書かれており、次のような一文も存在する。「(スミスの日本訪問は)CIAがマッカーサー将軍の戦域におけるインテリジェンス分野で何らかの役割を演じることを可能にさせることで、マッカーサー将軍およびウィロビー将軍と共に何かを達成しようとする努力である」。

CIAのお粗末ぶりを告発するという点からみると、朝鮮半島での情報活動を統制しようとしたウィロビーの努力は、極東軍司令部第2部の情報分析結果と競合する他組織による情報分析を排除する結果に終わったという意味で、ある意味成功したといえるのかもしれない。しかし、同時に特定の組織のみがその地域における情報活動を独占することによって生じる弊害も招く結果となった。

極東軍司令部参謀部第2部が朝鮮半島における情報活動を統制した結果、CIAの報告書は、国連軍が最も脆弱であった1950年9月という最良の時機を中国が逃がしてしまったため、中国は戦争に介入しないであろうというウィロビーの誤った情報分析結果を忠実に反映させる内容となってしまったのである。

▼マッカーサーと国務省 ~仲間以外の外部者は「敵か潜在的敵」である~

国務省は、マッカーサー率いる極東軍司令部と一緒にアジアにおける政策を立案・執行していく過程でCIAが遭遇したのと同じ困難を経験していた。

マッカーサーの司令部と国務省との間に生じた大きな諸問題は1945年8月の日本降伏の結果うみ出された。この大問題はマッカーサーとトルーマン政権との間の占領政策論争として表面化し、1951年のマッカーサー解任という結果で終了した。

マッカーサーとトルーマン政権との間の政策論争に関して、1949年から1951年まで国務省北東アジア部次長を務めたウラル・アレクシス・ジョンソンが興味深い証言を残している。

ジョンソンは日本通・アジア通で知られた外交官で、国務省入省後に日本語を専修し、1935年には語学研修目的で初訪日を果たしたのを振り出しに、1937年には在京城副領事、1939年には在天津副領事、1940年には在奉天副領事と当時日本統治下にあった各地を転々とし、大戦終結後の1946年には在日連合軍横浜司令部政治顧問に就任、1966年には駐日大使に任じられ沖縄返還交渉で重要な役割を果たした。ジョンソンは、「日本を敬服するが、日本に恋をしたことはない」と述べ、クールな対日観を持っていたが、ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官による米中接近に対しては日米両国の信頼関係を損なうとして批判的であった。

朝鮮戦争との関係で述べるならば、ジョンソンは1951年に国務省北東アジア部次長から北東アジア部長に昇進し、朝鮮戦争の休戦交渉に従事するなど、朝鮮戦争の外交面で活躍した人物でもあり、その回顧録『The Right Hand of Power: The Memoirs of an American Diplomat』は『ジョンソン米大使の日本回想』(草思社、1989年)として抄訳されている。

ジョンソンは1945年9月の国務省によるジョージ・アチソン上級代表の日本派遣に対するマッカーサーの反応を以下のように述べている。「マッカーサーへの政治顧問派遣という考えそのものが非常に悪く受け止められている。しかし、もちろん、彼にはそれを受け入れる以外の選択は無かった。ジョージ・アチソンは確かにやって来た、そして彼ら(筆者注:マッカーサーとその側近)は司令部から十分離れた建物に彼を追いやった。・・・・・彼はいかなる独立した通信も決して得ることができなかった。すべての通信はマッカーサーを経由しなければならなかったからである」。

なお、片岡鉄哉『日本永久占領』(講談社、1999年)によれば、ジェイムズ・バーンズ国務長官がアチソンを派遣したのにはマッカーサーを監視する目的があったというが、このことからも国務省がマッカーサーの動向を危険視していたことが窺える。

先に引用したジョンソンの観察は、極東軍司令部の外部者に対する組織感情について述べたジャック・シングローブの見解とも一致している。ジョンソンはさらに以下のような説明もしている。

「マッカーサーと司令部はじかに接している仲間以外のあらゆる外部者を敵もしくは潜在的な敵と見なしていた。私は脅威ではなかったためうまくやっていけた。私は(彼らにとって)有益であった」。

▼無為の5週間をもたらしたウィロビー依存 ~「すべてはうまくいっている」~

ウィロビーはマッカーサーの情報幕僚として10年近く疑念の余地がないほどの完全な忠誠心をマッカーサーに捧げたがゆえに、マッカーサーにとって有益な存在であった。

国務省とマッカーサー司令部との間の激しい相互不信と機能不全的な関係は、ワシントンが中国共産党の意図に関しますます警戒感を強めた1950年11月に表面化した。この当時、国務省政策企画本部長であったポール・ニッツエは往時を回想して以下のように述べている。

「中国共産党が介入したかもしれないという最初の徴候が存在した時から、中国共産党が清川江で陰謀の糸を引いた時まで、5週間あった。この5週間、我々がマッカーサーから得ていたすべてのメッセージにはすべてがうまくいっているとあった。現実には、我々が座っている場所からはうまくいっているようには見えなかったのだが」。

ニッツエによるこの回想はワシントンの政策決定者が意思決定に際し、ウィロビーの情報評価に依存していたことを我々に告げている。

ニッツエの証言からも窺知できるように、朝鮮半島政策に関与していたあらゆる人々が大規模な人民解放軍部隊が鴨緑江北岸に集結中であると理解していたことは明らかであるが、ウィロビーによるこの脅威の無視は、マッカーサーの作戦計画に対抗してリスクヘッジをするための、大統領や統合参謀本部議長のあらゆる影響力をも排除することにつながってしまった。

トルーマン政権の国際報道官を務めたロジャー・タビーは人民義勇軍による反攻に対するワシントンの反応を次のように回想している。

「『奇襲か?』『はい。私は奇襲だと思います。中国が集結中であるという報告は存在したのですが・・・』」

タビーの回想からは、ワシントンの政策決定者が、人民解放軍部隊が鴨緑江北岸で集結しているとの報告は受けていても、それを脅威とはしないウィロビーの情報「評価」を真に受けてしまうほど、ウィロビーによる情報評価の影響力が強かったことがわかる。

▼駐韓大使の分析ミス ~中国は「全面的介入には出てこない」~

国務省の最前線基地というべき在韓米国大使館は、11月20日というかなり遅い時期(マッカーサーの攻勢作戦の開始予定日わずか4日前)になっても中国共産党の意図を把握できないどころか、中国共産党の意図に関する議論の混乱に貢献していた。その日に刊行されたCIAの韓国情勢要約には駐韓大使の評価が次のように記されている。

「大使館は次のように考えている。もし中国共産党が過去2週間の間よりもより活発に介入してこない限り、中国は遅滞戦を戦っているのであり、全面的介入には出てこないと結論づけられるものと思われる」

国務省と極東軍司令部との間の相互不信は、なぜマッカーサーが中国の脅威が存在するにもかかわらず鴨緑江への攻勢を継続したのかに関するニッツエの見解に最もよく示されている。

「マッカーサーが過度のリスクを犯した理由の一部は、我々が中国共産党との戦争に巻き込まれている状況を作為することにあった」。

中国共産党による朝鮮戦争介入がこのような恐怖を正当化するか否かは別として、極東軍司令部とワシントンの戦略意思決定者との間の摩擦が、朝鮮戦争への全面的介入という中国側の意図と能力を評価分析する国務省・CIA・統合参謀本部・極東軍司令部といった組織の情報分析能力をかなり低下させたことは確実である。

(以下次号)

(長南政義)

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