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300px-Croiseur_de_bataille_Strasbourg_03-07-1940From:長南政義
件名:トーチ作戦とインテリジェンス(3)
2013年(平成25年)3月7日(木)

【前回までのあらすじ】

本連載は、1940年から1942年11月8日に実施されたトーチ作戦(連合国軍によるモロッコおよびアルジェリアへの上陸作戦のコードネーム。トーチとは「たいまつ」の意味)までのフランス領北アフリカにおける、米国務省と共同実施された連合国の戦略作戦情報の役割についての考察である。

前回は、ドイツの外交・軍事政策が連合国側にトーチ作戦実施を決意させた背景について述べた。

1941年2月、エジプトへの進撃を開始したロンメル率いるアフリカ軍団は快進撃を続けた。6月には、ドイツはソ連に対する攻撃を開始した。ドイツ軍がソ連軍に対しておさめた大成功は、ヨシフ・スターリンが、ヴャチェスラフ・モロトフ外務人民委員を派遣し、フランクリン・ルーズベルト米国大統領とウィンストン・チャーチル英国首相と会談させる決断をもたらした。モロトフを介してスターリンは東部戦線におけるドイツ軍による軍事的圧力を緩和するために、第二戦線を開くよう米英の首脳に要求したのである。

フランス本土侵攻のためには人員・物資両面で不足していたため、連合国側は、スターリンが要求する第二戦線をフランス領北アフリカに開くしか選択肢が残されていなかった。

今回は、トーチ作戦開始までに英国が米国やフランスに対してとった行動が、トーチ作戦に与えた影響について考察する。

【米英間で情報を共有せよ! ~チャーチル、米英間の情報共有のために動く~】

1909年、英国は、公的資金で運営される恒久的な情報機関MI6(Military Intelligence section 6 軍情報部第6課)を創設した。この情報機関は、1941年までに、作戦レヴェルの情報および分析結果を提供することができる強力な情報機関へと成長した。

1939年秋という早い時期に、当時第一海軍卿であったウィンストン・チャーチルは、後に英国にとって最大の同盟国になるであろう米国に伝達すべき機密情報をもっていることを認識していた。しかし、同時に、チャーチルは、情報源を暴露もしくは情報源を危険にさらさないようにするため、その情報が米国側によって注意深く保全されるのを確実にする必要があった。

さらに、チャーチルは、この情報を米国政府内の上級指導者にできる限り正確かつ安全に提供するための方法を見つけようと努めていた。米英間の情報共有を開始するために、チャーチルは、フランクリン・ルーズヴェルト大統領に対し、強力な情報機関を創設するよう働きかけはじめた。

【007の原作者イアン・フレミングの米国調査 ~米国は機密保全ができていない~】

1939年末と1940年初頭、チャーチルは、英国海軍情報部長ジョン・H・ゴドフリー提督およびその補佐官イアン・フレミング海軍中佐を米国に派遣し、米国のインテリジェンス機関の現状を慎重に精査させた。イアン・フレミングは、いわずと知れた007の生みの親であり、ゴドフリー提督はジェームズ・ボンドのボスであるMのモデルとなった人物である。

ゴドフリーとフレミングの2人はロンドンに帰還し、首相に就任していたチャーチルに対し以下の内容の報告を行った。すなわち、米国は、英国が提供したいと考えている種類の情報を受領し、機密保全する準備ができていない、という趣旨の報告である。

一方、ルーズヴェルトは、戦闘能力の高いドイツに対して米国の戦争準備を改善することに着手するために、できるかぎり多くのインテリジェンスおよび作戦レヴェルのインフォメーションを入手することを望んでいた。しかしながら、米国は、その時点ではいまだに中立国であり、インフォメーションを入手したとしても、その得たインフォメーションに基づいて作戦的行動をとることなど容易にできなかった。

【イントレピッドことウィリアム・ステフィーブンソンの米国派遣】

1940年遅くに、チャーチルは、カナダ出身の億万長者で、暗号名「イントレピッド」で知られるウィリアム・スティーブンソン(William Samuel Stephenson)を米国に派遣した。スティーブンソンの任務は、インテリジェンスを米英間で共有できるように、米国のインテリジェンス機関を組織化することを支援することにあった。

スティーブンソンは、英国外務省パスポート管理官という仮面をかぶって、ニューヨークのロックフェラー・センターにある特別室から任務を行っていた。真珠湾攻撃とそれに伴う米国の第二次世界大戦参戦後、スティーブンソンは英国の西半球担当セキュリティー・コーディネーターに任命された。

チャーチル首相は、当時、情報調整官を務めていたウィリアム・ドノヴァン大佐(CIAの前身であるOSSの創設者)がルーズヴェルト大統領と近い関係にあり、インテリジェンス機関の必要性を正確に理解していることを、諸情報から把握した。そのため、チャーチルは、スティーブンソンに対し、ドノヴァンとの協働関係を構築するように指示した。スティーブンソンとドノヴァンとの協力関係は迅速に発展していった。2人は多くの点で気があったのだ。

スティーブンソンがドノヴァンに与えた戦略情報・作戦情報の収集分析に関する指示やアイデアは、のちにドノヴァンがOSSを創設するうえで強力な基礎を提供することとなった。

【メルセルケビール海戦】

欧州大陸において、英国は、フランスの急速な崩壊からドイツによる英国本土侵攻の脅威まで、さまざまな問題に直面していた。英国は、欧州においてドイツに対抗できるだけの軍事力をもった唯一の無傷な国家であった。

しかしながら、欧州大陸に陸上基地がないため、チャーチルもとその高官たちは、フランス沿岸に対する小規模な急襲作戦以上のことをするつもりはなかった。さらに、地中海地方におけるドイツとイタリアの活動は、地中海からスエズ運河まで点々と駐屯している英国の守備隊の安全に対する懸念をもたらした。こういった懸念が、枢軸国に対する何らかの行動に出るよう検討させることにつながった。

その行動の1つが、残存するフランス艦隊に対する作戦であった。英国首脳部は、これらのフランス艦隊がドイツの手にわたり、英国のシーレーンを脅かす存在になることを危惧していた。そのため、フランスの崩壊後、チャーチルとその高官たちは、残存するフランス艦隊を自軍の統制下にいれようと必死であったのだ。

1940年7月3日、ジェイムズ・サマヴィル中将率いる英国海軍のH部隊は、艦艇を破壊もしくは艦艇に重大な損傷を与える目的で、フランス艦隊に対し一連の攻撃を実施した。これがメルセルケビール海戦である。

英国海軍は、英国もしくはエジプトにある港湾に所在するフランス海軍艦艇に対して行動に出た際、形だけの抵抗に遭遇したのみで、乗り込んで行って引き渡しを受けるだけでよかった。しかし、アルジェリア西部にあるメルセルケビールではそうはいかなかった。当地のフランス艦隊を率いるマルセル・ブルーノ・ジャンスール中将は、数時間に及ぶ交渉の後で、英国海軍の交渉役ホランド大佐が突き付けた最後通牒を拒絶したのである。

最後通牒には、(1)英国側に加わり枢軸軍と戦う、(2)艦艇を英国領の港湾に回航する、(3)西インド諸島もしくは中立国である米国の港湾に向かう、(4)自沈する、(5)交戦する、のいずれかをとるようにとあった。

フランスにとっては、(1)および(2)はドイツと締結した休戦協定から受け入れることができなかった。フランスは、この時点でまだ味方であるという意識を英国に対して持っていたため、(4)および(5)も選択できなかった。とすると、残りは(3)になるが、これには本国ヴィシー政府の海軍省の許可が必要であったが、海軍省はヴィシーへ移転の最中であったため連絡がとれない状態にあった。

そのため、フランス側の回答は、(1)フランス艦艇がドイツもしくはイタリアの手に渡ることが無いことを保障する、(2)フランス海軍は不当な攻撃には武力を持って反撃をする用意があるというもので、最後通牒に対して明確な回答を避けたものとなった。これに対し、イギリス側はフランス側から明確な回答がないことを理由として港口への機雷散布を実行するなどし、H部隊による攻撃が開始された。

英国海軍による攻撃により、戦艦4隻、駆逐艦6隻からなるフランス艦隊は、沈没戦艦1隻、中破戦艦2隻、戦死者1297人という損害を出したものの、戦艦ストラスブールおよび駆逐艦6隻は脱出に成功した。

【メルセルケビール海戦の意義】

英国がメルセルケビール海戦によって得た成果は、軍事的にも政治的に悪いものであった。軍事的には、英国海軍はフランス艦隊を完全に撃破することに失敗してしまった。政治的には、フランス国民を激怒させ、フランスの輿論を枢軸国よりにする結果を招いてしまった。

サマヴィルは、フランス艦隊の主力を三隻撃沈・着底させ無力化に成功したと本国政府に報告したが、実際のところフランス海軍は、戦艦ダンケルクおよび戦艦プロヴァンスを故意に座礁させただけにすぎず、応急的な修理を施された二隻はトゥーロンに帰還してしまった。つまり、英国海軍が挙げた戦果は、戦艦一隻を撃沈だけであったのだ。

したがって、生存したフランス海軍の戦艦が本国へ帰還すれば戦力復帰は容易であり地中海での潜在的脅威の程度は海戦前と変わらないだけではなく、ヴィシー政権が枢軸陣営に入って連合国軍の脅威となりかねない危険性を残しただけであった。

次回は、メルセルケビール海戦がもたらした政治的意味について補足をしたうえで、トーチ作戦開始までのフランスをめぐる国際情勢について話を進めていく。

(以下次号)

(長南政義)


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