陸上自衛隊第8師団

2019年2月6日

第8師団は、西部方面総監の隷下にあり、司令部を熊本県熊本市の北熊本駐屯地に置く。南九州3県(熊本、宮崎、鹿児島)の防衛警備を任務とし、災害派遣、国際平和協力業務や国民生活の安定に寄与するため様々な活動を行っている。
編成
師団は、中核となる師団長と師団司令部(北熊本)、司令部付隊(*1)(北熊本)および以下部隊が、北熊本(熊本県熊本市)、玖珠(大分県玖珠町)、川内(鹿児島県薩摩川内市)、国分(鹿児島県霧島市)、えびの(宮崎県えびの市)、都城(宮崎県都城市)の6個駐屯地および高遊原分屯地(熊本県益城町)に展開している。
(*1)司令部の管理及び業務支援を任務とする旗本部隊。
第12普通科(歩兵)連隊(国分 4個普通科(歩兵)中隊)、第42即応機動連隊(北熊本)、第43普通科(歩兵)連隊(都城 4個普通科(歩兵)中隊基幹)、第8飛行隊(高遊原)、第8偵察隊(北熊本)、第8高射特科(高射砲兵)大隊(北熊本)、第8施設(工兵)大隊(川内)、第8後方支援連隊(北熊本)、第8通信大隊(北熊本)、第8音楽隊(北熊本)、第4対舟艇対戦車隊(玖珠)、第8化学防護隊(北熊本)
特性
南西諸島有事・臺灣問題が懸念される時代に入り、南北約700㎞、東西約340㎞の範囲に陸地の約70%は山地、約960個の離島を抱える地域的特性を抱える南九州地域を担任する8師団の重要性が増している。これを受け同師団は、米海兵隊との島嶼防衛に関する共同訓練を米国内で行なうなど地域特性に応じた能力向上にいそしんでいる。また、部隊構成者の80パーセント以上が地元出身という郷土部隊として高名である。
略歴
1955年(昭和30年)12月1日 陸上自衛隊第4管区隊を再編し、第8混成団を新編。
1956年(昭和31年)12月 北熊本駐屯地が創設され、混成団の一部が移駐。
1957年(昭和32年)3月 混成団主力が北熊本駐屯地に移駐。
1962年(昭和37年) 第8混成団を母体に、第8師団へと改編(乙師団、第12、第42、第43普通科(歩兵)連隊基幹)。
1981年(昭和56年) 第8師団改編(甲師団化)。第24普通科(歩兵)連隊が第7師団隷下より第8師団隷下へ異動し新設のえびの駐屯地へ移駐。
2003年(平成15年) 第4次東ティモール派遣施設群(UNMISET)に派遣。
2005年(平成17年)3月28日 即応近代化師団に改編
2010年(平成22年)5月1日 九州南部で発生した口蹄疫感染への災害派遣要請を受け、都城普通科(歩兵)43連隊が川南町に出動。その後、対応規模を拡大し全被害地域で活動、同年7月27日に完全撤収する。
2018年(平成30年)3月27日:隷下部隊を改編した。
・即自訓練を終了し、第24普通科連隊を西部方面混成団に移管(2個普通科連隊基幹に改編)。
・第42普通科連隊を即応機動連隊に改編
・師団司令部に火力調整部を新設(同時廃止の8特連本部から改組)
・第12・42・43普通科連隊の対戦車中隊を廃止
・第8特科連隊を廃止(西部方面特科連隊に改編、平時第8師団隷属の方面直轄部隊)
・第8戦車大隊を廃止(第4戦車大隊と統合、西部方面隊直轄の西部方面戦車隊に改編)
・第8高射特科大隊を改編
【参考】
現8師団の担任地域は、帝国陸軍では熊本6師団(管轄区域:大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県)が担任していた。
帝国陸軍第8師団は、日清戦争後に、軍備拡張の必要性から増設された6個師団の一つ。おもに東北地方出身者から構成された。初代師団長は立見尚文中将。衛戍地(*)は弘前。
日露戦争では明治37年(1904年)6月動員下令。満州軍の予備隊に位置付けられる。明治38年(1905年)1月、黒溝台会戦に援軍として派遣されたが、ロシア軍に包囲殲滅され約五割が死傷した。救援に来た名古屋3師団、広島5師団がロシア軍を撃退し、その後8師団は奉天会戦に参加した。
大正10年(1921年)のシベリア出兵に参加。
1931年の満州事変では熱河作戦に参加し、1937年(昭和12年)より満州に駐屯。
昭和12年(1938年)1月13日に第3軍の戦闘序列に編入され綏陽に駐屯。昭和14年(1939年)に歩兵第32連隊が新設の第24師団に転出。
昭和16年(1941年)9月19日、第8師団は第25師団とともに第20軍の戦闘序列に編入。掖河に移駐した。以後、満州守備の中核部隊として満州国内にて対ソ戦の訓練や抗日パルチザン掃討等の治安維持活動に従事していた。
昭和19年(1944年)2月、絶対国防圏の防衛強化のため第3派遣隊の編成を命じられ、第8歩兵団司令部と隷下歩兵連隊の各1個大隊、野砲兵第8連隊第1大隊、工兵第8連隊第2中隊を抽出された。第3派遣隊はエンダービー島に展開し、同年6月に独立混成第11連隊(通称号:備17585部隊)に改編された。エンダービー島では補給途絶のため飢餓と熱帯病に苦しみ、多くの戦病死者を出した。同年9月にチューク諸島(トラック島)に主力は転進し、以後、終戦まで陣地構築などを行った。
昭和19年(1944年)7月、師団本隊はフィリピン戦線に投入された。レイテ島の戦いに歩兵第5連隊基幹の高階支隊を増援として送ったが、支隊はアメリカ軍や抗日ゲリラによって即座に殲滅された。なお、同支隊はレイテに投入された最後の陸上戦力である。
師団主力はルソン島南部に第41軍の中核として展開した。第8師団はルソン島の戦いでアメリカ軍や抗日ゲリラとの戦いで消耗し、全滅寸前で終戦を迎えた。
(*)陸軍部隊が永久にひとつ地に配備駐屯することを意味し、その地を衛戍地と称した。英語では Garrisonに相当する。