陸士出身の陸軍大将、初心者はこれだけは読んどけ!

2020年5月1日

2009年9月16日配信の荒木肇先生のメルマガから抜粋しました。
http://melma.com/backnumber_174026_4609357/
陸士出身の陸軍大将
 明治8(1875)年、士官学校は正式に発足し、士官生徒の1期生たちが入校。のちに大将になった人たちは2期生から多く出た。
旧制2期から出た3人の陸軍大将
 大迫尚道(おおさこ・なおみち:1854~1934)
 鹿児島出身、明治12(1879)年に砲兵少尉。日露戦中は少将だった。
 井口省吾(いぐち・しょうご:1855~1925)
 静岡県の農家出身、沼津兵学寮(徳川軍の幹部学校)幼年生徒。同じく砲兵少尉。
 大谷喜久藏(おおたに・きくぞう:1855~1923)
 若狭国小浜藩士の家に生まれ、藩校に学び、陸士入校。同期といっしょに歩兵少尉に任官。
旧制3期から出た陸軍大将
日清戦争では少佐クラス。日露戦争では少将クラスだった。
 上原勇作(うえはら・ゆうさく:1856~1933:工兵)
 のちに元帥になった
 
 内山小次郎(うちやま・こじろう:1859~1945:砲兵)
 
 秋山好古(あきやま・よしふる:1859~1930:騎兵)
 
 本郷房太郎(ほんごう・ふさたろう:歩兵)
 
 柴五郎(しば・ごろう:1859~1945:歩兵)
士官候補生1期生から出た3人の陸軍大将
士官学校の制度が変わり、士官候補生1期生は明治21(1888)年に入校。いわゆる「御一新後の育ち」とされる世代の始まり。日清戦争では中尉の階級になり、10年後の日露戦争では少佐クラス。
 鈴木荘六(すずき・そうろく:1865~1940:騎兵)
 昭和初期の参謀総長。
 
 白川義則(しらかわ・よしのり:1868~1932:歩兵)
 1932(昭和7)年、上海派遣軍司令官として出征。司令官として昭和大帝の意をよく呈し戦の終結に尽力した。停戦式典時に朝鮮人テロリストによる爆弾テロで受けた傷がもとで亡くなった。
 
 宇垣一成(うがき・かずしげ:1868~1956:歩兵)。
 大正末期の軍縮の立役者として高名。陸軍から恨まれていたためか組閣の大命が降下したのに内閣をもてなかった。大東亜戦争終戦後は拓大学長や、参議院議員も務めている。明治元年生まれで、昭和の30年代初めに亡くなった。戦後の復興も目にしている。