陸上自衛隊第4師団

2019年2月6日

第4師団は、西部方面総監の隷下にあり、司令部を福岡県春日市の福岡駐屯地に置く。九州北部(大分県、福岡県、佐賀県、長崎県)の防衛警備、災害派遣等を主たる任務としている。
編成
師団は、中核となる師団長と師団司令部(福岡)、司令部付隊(*1)(福岡)および以下部隊が、福岡(福岡県春日市)、大村(長崎県大村市)、小倉(福岡県北九州市)、別府(大分県別府市)、久留米(福岡県久留米市)、目達原(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)、対馬(長崎県対馬市)、玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)の8つの駐屯地に展開している。
(*1)司令部の管理及び業務支援を任務とする旗本部隊。

福岡普通科(歩兵)第19連隊(4個普通科(歩兵)中隊基幹 コア部隊(*2))、大村普通科(歩兵)第16連隊(4個普通科(歩兵)中隊基幹)、小倉普通科(歩兵)第40連隊(4個普通科(歩兵)中隊基幹)、別府普通科(歩兵)第41連隊(4個普通科(歩兵)中隊基幹)、対馬警備隊、目達原第4飛行隊、福岡第4偵察隊、久留米特科(砲兵)第4連隊、久留米高射特科(高射砲兵)第4大隊、大村施設(工兵)第4大隊、福岡後方支援(輜重)第4連隊、福岡通信第4大隊、福岡第4音楽隊、玖珠戦車第4大隊、玖珠第4対舟艇対戦車隊、福岡第4特殊武器防護隊
(*2)教育訓練を主体とする部隊の事。2012年現在、広くは即応予備自衛官を主体とする部隊のことを意味する。「平時はコア(指揮官及び幕僚機能)のみを維持する部隊」の意味。コア部隊の2割が常備自衛官で残りの8割が、教育を受ける隊員・即応予備自衛官で構成される。
特性
半島にもっとも近いわが地上軍部隊。直轄部隊として対馬警備隊を傘下に持つ。
略歴
昭和25年 第4管区隊発足(警察予備隊発足)、福岡駐屯地開設
  29年 保安隊から陸上自衛隊へ、陸上自衛隊第4管区隊発足  (写真へ)
  37年 第4師団発足
  55年 対馬警備隊新編
平成 2年 第4後方支援連隊、第4高射特科大隊新編
   8年 第2次UNDOFゴラン派遣
  11年 第7次UNDOFゴラン派遣
  14年 第4対舟艇対戦車隊、第4化学防護隊新・改編
  15年 UNMISET 第4次東ティモール派遣施設群
  16年 UNDOF 第17次ゴラン高原派遣輸送隊
  17年 第7次イラク復興支援群(7月~11月)
  18年~19年 国際緊急援助隊待機任務完遂(7月~1月)
  22年 UNDOF 第30次ゴラン高原派遣輸送隊
  22年 パキスタン国際緊急航空援助隊派遣
  23年 東日本大震災に伴う災害派遣
【参考】
現4師団の担任地域は、帝国陸軍では久留米12師団(管轄区域:福岡県、長崎県、佐賀県 S15より56師団)、熊本6師団(管轄区域:大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県)が担任していた。
帝国陸軍第4師団は、明治6年(1873年)1月に設置された大阪鎮台を前身とし、帝国陸軍で最も古い師団の一つであった。衛戍地(*)は大阪。
江戸や地方と違い商人の割合が多い隷下聯隊だったが、西南の役では、示現流で斬り込んでくる薩摩武士相手に多大な損害を出すも奮戦。明治天皇直々にその勇敢勇戦を賞されている。
陸軍創設以来、佐賀の乱・萩の乱・西南の役など主要戦役にすべて出陣しており、日清戦争では遼東半島に上陸、同地の警備に当たる。日露戦争では師団長小川又次中将の下、南山の戦い、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加した。
昭和12年(1937年)2月より満州に駐屯。まもなく盧溝橋事件が勃発。支那事変では北支や満蒙を転戦した。昭和15年(1940年)7月に中支に派遣。漢水作戦、予南作戦、江北作戦等に参加。昭和16年(1941年)9月には、第一次長沙作戦に従事している。その後大本営直轄となり、来るべき南方作戦に備えて部隊の集結と再編成を行った。
大東亜戦争では、フィリピン攻略作戦に参加。第2次バターン半島攻略作戦に従事しコレヒドール島上陸に成功。同攻略戦の勝利に大きく寄与した。
その後は本土警備に当たっていたが、昭和18年(1943年)9月再動員。スマトラ島警備やビルマ方面を担当する第15軍隷下に入りタイに移動。ランパンで終戦を迎えた。
(*)陸軍部隊が永久にひとつ地に配備駐屯することを意味し、その地を衛戍地と称した。英語では Garrisonに相当する。