陸上自衛隊第13旅団


第13旅団は、中部方面総監の隷下にあり、司令部を広島県海田町の海田市駐屯地に置く。中国5県(鳥取、島根、岡山、広島、山口)の防衛警備、災害派遣等を主たる任務としている。
編成
旅団は、中核となる旅団長と旅団司令部(海田市)、司令部付隊(*1)(海田市)及び以下の部隊が、海田市(広島県海田町)、日本原(岡山県勝田郡奈義町)、米子(鳥取県米子市)、山口、出雲(島根県出雲市)の5駐屯地と防府分屯地(山口県防府市)に展開している。
(*1)司令部の管理及び業務支援を任務としています。

米子第8普通科(歩兵)連隊(3個普通科(歩兵)中隊基幹)、山口第17普通科(歩兵)連隊(3個普通科(歩兵)中隊基幹)、海田市第46普通科(歩兵)連隊(3個普通科(歩兵)中隊基幹)、防府第13飛行隊、出雲第13偵察隊、日本原第13特科(砲兵)隊、日本原高射特科(高射砲兵)第13大隊、海田市施設(工兵)第13中隊、海田市第13後方支援(輜重)隊、海田市通信第13中隊、海田市第13音楽隊、日本原戦車第13中隊
特性
陸自で初めて編成された旅団。「即応近代化旅団」と位置付けられている。
略歴
昭和37年 約7,000人の師団として編成 担任地域は中国5県、四国4県
昭和45年 約9,000人の師団に改編 担任地域は中国5県、四国4県
昭和56年 約7,100人の師団に改編、善通寺第2混成団(現第14旅団)新編により中国5県担任に変更。
平成11年 約4,000人の旅団に改編(陸上自衛隊初) 担任地域は中国5県
平成20年 即応近代化旅団に改編 担任地域は中国5県
【参考】
現13旅団の担任地域は、帝国陸軍では広島5師団(管轄区域:島根・広島・山口の三県に相当する地域)と姫路10師団(兵庫・岡山・鳥取の三県)が担任していた。
帝国陸軍第13師団は、日露戦争末期、師団総ての動員により本土駐留師団がなくなった事態を受け、明治38年(1905年)4月に創設された4個師団のひとつ。衛戍地(*)は高田(新潟県)。大正14年(1925年)の宇垣軍縮により15,17,18師団とともに廃止された。
支那事変勃発後の昭和12年(1937年)9月、常設師団から特設された師団として、留守第2師団(仙台)の担当で復活。金沢9師団、東京101師団とともに上海派遣軍司令官隷下に入り、第2次上海事変に出征した。
1938年(昭和13年)2月、新設された中支那派遣軍戦闘序列に編入され徐州会戦を戦う。同7月第2軍に編入。武漢作戦に参戦。同11月第11軍に編入。支那戦線でのさまざまな作戦に参戦した。大東亜戦争開戦後も第11軍隷下で華中に在り、昭和19年(1944年)には大陸打通作戦第二段の湘桂作戦に参加。作戦終了後は第11軍司令部の置かれた柳州西方の宜山方面の警備を担当した。
昭和20年(1945年)4月、名古屋3師団とともに支那派遣軍直轄師団となり、南京方面に移動中湖南省長沙で終戦を迎えた。
(*)陸軍部隊が永久にひとつ地に配備駐屯することを意味し、その地を衛戍地と称した。英語では Garrisonに相当する。