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今回の派遣は、すべてが実行動だった。 – 東日本大震災と自衛隊(最終回)

time 2012/04/04

はじめに
 拙著『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?─』の予約をしてくださったみなさま、ありがとうございます。すでに100部近いお申し込みがあるとか聞きました。陸上自衛隊のある司令部からも発注をいただいています。そして、各地方連絡本部や職種学校などでも教育用に購入をご検討中とか。ありがとうございます。元気が出ます。

 ところで、あれだけ自衛隊の活躍が注目された・・・というものの、今回の世論調査結果は、やっぱり・・・というものでした。自衛隊や防衛問題に関心がないという回答が30%近くあったようです。関心があるという方々は5%増加で69.8%。
 
「全く関心がない」「あまり関心がない」という人たちに、その理由を聞いてみました。自衛隊などは必要ないという「丸腰でいい、何かあったら座して死ね」という(こうなると宗教ですね)人が2.2%。でも、こうした平和教信者はバブル期の7%(1991年)を最高数値にして減り続けています。興味深いのは、「差し迫った軍事的脅威がないから」という回答、17.7%。「自分の生活に関係ないから」という無関心派も30.7%を占め、「自衛隊や防衛問題についてよく分からないから」という人が46.7%にのぼります。

 あらっぽく言えば、私たちのお隣近所の人たちの10人のうち3人は国防・安全保障に関心がなく、そのうちの1人は「自分の生活に関係がない」と考えている。あとの2人は「よく分からないし」なんとかなるだろう、「まあ、中国や韓国だって本気で軍隊を動かしている訳じゃないし」と鷹揚に構えているのかも知れません。

 とても興味深いのは、自衛官に応募しようとする人が増えたか・・・というと、決してそうではないという事実です。まず、いっときの興奮が冷めてしまえば、よくよく考えると若者の就職先としては魅力がない。いい仕事はしているが、自分の家族が入るようなところではない。だいいち、社会的な評価がねえ・・・というのは、過去からのわが国の歴史をみれば分かります。

 昔をとにかく美化する人もいますが、戦前社会だって誰もが『お国のために』と勇んで兵役に就いたわけでもありません。いな、むしろ『徴兵懲役一字の違い 腰にサーベル鉄鎖』とちゃかした歌があったように、軍隊や軍人の不人気は今に始まったことではないのです。全国には「徴兵逃れ」の神社までありました。

 だから、私は書き続けます。わが国の防人(さきもり)たちの歴史を見つめ、現代の自衛官たちのほんとうの姿を知らせたいと願うのです。彼ら、彼女らは何を思い、何を拠りどころにし、ワリに合わない仕事に挺身しているのか。そして、彼ら、彼女たちにつづく若者を励ましたいとねがっています。

 大震災と自衛隊の企画は今回をもって終了します。願わくは一人でも多くの方々が、拙著を手にとって下さり、自衛官の真の姿を理解されますように。

御殿場に「防衛技術博物館」を・・・

 なんとも大きな夢を描いている人たちがいます。御殿場市竈(かまど)に車関係の会社を経営されている小林雅彦氏を中心にしたグループです。小林氏は専門誌『PANZER』などに寄稿されたこともある若手軍事車輛の研究者。ドイツ軍の装軌式オートバイ「ケッテンクラート」を自分の工場でレストアされ、その経緯を著書にもしておられます。

 わが国の戦車の揺籃(ようらん)の地といえば、千葉戦車学校か御殿場か。わが国の初めての国産戦車が走ったのは静岡県御殿場市でした。現在のJR御殿場駅で貨車からおろされた戦車は同市内板妻の廠舎まで、およそ7キロの道を走りました。その後、現在の東富士演習場でさまざまなテストを受けました。

 帝国陸軍が解体され富士山麓にはアメリカ軍が駐屯し、自衛隊が発足。そのとき、誘致に熱心だった小山町に富士学校が発足します。富士学校こそ、普通科(歩兵)、野戦特科(野戦砲兵)、機甲科(戦車・偵察)の3つの兵科が集まる世界でも珍しい職種学校です。いまも、10式戦車の実用試験が続けられ、北海道以外で90式戦車が見られるのも、ここの戦車教導隊と御殿場市駒門の第1機甲教育隊だけになっています。

 ところで、わが国の戦車や装甲車輛がどれだけ保存されているか読者の皆さんは御存じでしょうか? 89式中戦車と3式中戦車が、それぞれ1両ずつ茨城県土浦駐屯地の陸上自衛隊武器学校にあるだけです。また、朝霞駐屯地には近頃復元された100式牽引車があり、石川県には96式6輪トラックがただ1台だけあるとのこと。

 海外に行けば、どんな国にも軍事博物館があり、各種の兵器や防衛技術に関する展示がたくさんあります。その中には、わが国の兵器がずいぶん見ることができる。そうであるのに、わが国にはまともな「防衛技術博物館」がないではないか。

 科学立国とか、技術重視とかいわれてきたのに、たしかにお寒い現状です。御殿場といえば、多くの方がアウトレットを思い、ごく一部の方が総合火力演習を考えるといったようでは将来が心配になります。小林氏の熱い思いを聞きながら、心から応援できることはしたいと思いました。もし、よろしければ、このNPO法人のホームページをぜひ、のぞいてみてください。http://www1.ocn.ne.jp/~npo-dtm/

陸曹とは

 陸上自衛隊では陸曹になりたいと志願する人たちを試験で選抜する。企業内でも行う昇進選抜試験と仕組みは変わらない。陸士は原則、任期付のアルバイトだから、陸曹にならないと定年まで勤務できない。合格すると、事前教育を部隊で受けたあと、各地の陸曹教育隊に入隊する。陸曹教育隊は陸自の5つの方面隊ごとに1つずつある。そこでの教育の大元は『俺を見よ 俺に続け』という言葉に表されるように、現場のリーダーとしての素質を育てることになる。

 それぞれの教育隊にはあだ名がついている。御殿場市板妻にある東部方面隊第3陸曹教育隊は「サンソウキョウ」だから「山走狂」となる。まさに言い得て妙、ここの候補生たちはよく走る。いや、走らせられる。
『クッタクタになるまで演習場でしごかれる。ようやっとサントンハンに乗って帰るかと思いきや、板妻とは違う方に走るんです』
 しばらく行くとトラックは停まる。運転席から降りた助教はニヤニヤする。『故障した』というのだ。走るしかない。走って帰るしかなかった。

 似たようなエピソードは、イッソウキョウにもゴソウキョウにもあるだろう。ニソウキョウ、ヨンソウキョウにも。幹部(将校)が頭脳なら、陸曹(下士官)は筋肉(陸士)を動かす神経系統にあたる。実技・体力・知識で陸士を圧倒し、リーダーシップで陸士をひっぱっていく。だから、陸曹教育隊の教育・訓練はとても厳しい。女性自衛官の陸曹教育隊も同じである。炎天下の演習場で、男性とまったく同じ完全武装をし、旗を立て、一糸乱れぬ行進をする女性陸曹候補生たちを見たことがある。

 なお、日本陸軍では幹部とは下士官と士官(将校)の両方をさした。どちらも武官だから、初めて伍長になり、初めて少尉になるときに、どちらも「任官」といった。いまの自衛隊では、3尉になる時だけを任官という。3曹には昇任である。おそらく、警察予備隊の発足当時、いまの警部補にあたる階級より上を幹部といったことに理由があるのだろう。ちなみに、警察の階級は陸軍とよく似ている。巡査-巡査長は兵にあたり、巡査部長は下士官だろう。アメリカの警官の袖の山形(シェブロン)はまさに陸軍と同じである。巡査部長は山形3本でサージャンと呼ばれている。

昔と変わらぬ「班長」

 陸曹に対して「班長」と呼びかける習慣がある。陸曹は、普通科(歩兵)では小銃分隊長、迫撃砲分隊長、特科(砲兵)では砲班長(1門の砲を操作する人員を砲班という)などを務める。だから、昔から下士官一般を「班長」という。血気盛んな3曹から若手2曹は、じかに陸士たちを指揮する立場になることが多い。ベテラン2曹は部隊の指揮班や本部の事務室などで勤務する。1曹ともなれば陸曹の中でも先任になり、曹長はその上位にある。

 昔の陸軍では伍長-軍曹-曹長だったが、陸自では3曹-2曹-1曹と進んで、さらに曹長がある。定年が延長されてきたことによる増設だという。それは同時に、彼らの専門性が高まってきたこととも関係がある。

 さらに現在では、新しい制度として最先任上級曹長が設けられた。先任(せんにん)という言葉は、同じ階級にあっても序列では上にあるという意味である。部隊などではこれまでも先任陸曹という言葉があった。小隊陸曹などといえば、小隊にいる陸曹のうちの最上級者であり、小隊長の補佐をする立場の陸曹をさした。これを完全に階級としようとする考えである。

 アメリカ軍では下士官を優遇するということはよく知られてきた。よく映画などでも、訓練の時には将校までを怒鳴りつけている下士官がいる。階級の違いはあっても下士官の専門職性を高く評価し、待遇面でもそれを表そうということだ。米軍の基地に行くと、基地司令の大佐の官舎と同じ最先任曹長の官舎がある。給与面でも他の下士官とは異なって、中佐と同じような処遇を受けているという。

 アメリカ軍では准尉という階級は専門職の准士官が就く立場で、部隊においては指揮系統には入らないらしい。専門スタッフになってしまい、下士官を代表するのは先任曹長だということだ。同じように、陸上自衛隊もいずれは准尉という階級がなくなり、曹長からは最先任上級曹長が選ばれることになるという。現在では、多くが准尉の階級にある人が左腕に大きな最先任上級曹長を表すマークをつけている。隊舎に行けば、師団長、旅団長や連隊長などの部屋の隣に一室を与えられ、「曹士」の最高の代表者を務めている。

安心して命令を下してください

 偵察隊とは師団にある機甲科の部隊である。富士総合火力演習や駐屯地創立記念日などの展示訓練では、オートバイに乗って射撃を見せたり、派手なジャンプを見せたりといった隊員がいる。O3尉はふだんは斥候班の指揮をとる若い幹部である。今回の派遣では、発災直後から沿岸部に入り、部下を率いて地上からの偵察を行った。また、ヘリコプターにオートバイといっしょに乗り組み、空中機動をして離島にも送られ、オートバイ斥候として情報収集活動にしたがった。

 行方不明者の捜索にこれからあたろうという前の日の晩である。ふだんは自分にも小隊員にも厳しい先任陸曹がミーティングの終わりの時にこうささやいてくれた。
「O3尉の考えられた捜索要領で我々は行動します。不安を顔に出さないで、安心して命令を下してください。思い切ってやりましょう。そして、行方不明者を一刻でも早く見つけてあげようではありませんか」

 あとで他の部下に聞くと、小隊陸曹はみんなに「O小隊長の考えた通りで間違いはない。みんなで小隊長を盛り立ててゆこう」と呼びかけていたそうだ。O3尉は心強い部下をもったと涙が出るのを止められなかった。

もっと強く、もっと優しくなりたい

 K3曹は施設(工兵)大隊の油圧ショベルの操縦者である。道路啓開、行方不明者の捜索などを行った。重機の操作はお手の物だが、今回の捜索ではひどく気を使った。毎日、「どうか、早く出てきてください」と祈りながら操作レバーを握っていた。同時に、万が一でも、遺体を傷つけたらいけないと緊張のしっぱなしだった。

 行方不明者を発見した時である。重機では遺体についた瓦礫まではとり除けない。先輩陸曹が、それを手で払いのけながら遺体に語りかけていた。
「もう少しで楽にしてあげますから、やっと出てこれましたね。これで家族の元に帰れますね」
 涙がこぼれて止まらなかった。こういう気持ちが大切なんだと思い知らされた。

 崩壊した自宅に家財を取りに来た家族がいた。小さい女の子が瓦礫に足をとられて転んでしまった。少女はヘドロまみれ、泥だらけになった。あ、助けに行かなくてはと思った瞬間、その子のお父さんの声が飛んだ。『立て、自分の力で立て!』。それを聞いて、さまざまな意味がこもっているのだろうと考えた。
「私は自衛官として、人間として、もっと強く、もっと優しくならなければと思いました」

なぜか涙は出なかった・・・

 S1曹は普通科連隊員である。いつもは本部管理中隊で補給業務の担当だった。東松島市で人命救助、行方不明者の捜索を行い、分隊長として部下を率いた。「どうか生きていて欲しい、そう心から念じながらの活動でした」

 毎日が人生の中で今まで一度も見たことがない光景ばかりで、とても悲しく、辛いことばっかりだったのに涙がこぼれたことがなかった。「私だけではなく、誰にとっても壮絶な戦いでした。みな必死だったのです」
 あの3月の寒さの中、息絶えていった人たちがいた。その生命の重み、尊さを忘れることは決してないとS1曹は言う。

 一人ひとりが黙々と任務を遂行する。いざとなったら危険を顧みず行動する自衛隊。その中に身を置き、行動できたことを自分の誇りとしている。一人の人間は弱い。衣食住のどれか一つでも欠けたら、人の暮らしはつまずいてしまう。物心両面の準備をいつも心がけることが大切だと思った。

 ご老人から子供まで、以前にあった家の前で合掌する被災者の姿を見た。無言のうちにも、今後の復興を祈る気持ちが伝わってきた。「位牌を見つけて欲しい、もしあったら届けてほしいという声は皆さんからたくさんいただきました。私たちもそれに応えましたが、日本人はご先祖様を大切にします」
 S1曹は、これからも微力でも人の為になれるように精進したいと話を締めくくった。

実行動の責任感

 これはふだんの演習ではないぞ・・・と若いM3曹は思った。被害が大きかったN町で指揮官たちのドライバーとして活動した。田んぼや道路にまでガレキが押し流されてきていた。あのいつも訪れていたおだやかなN町の面影はどこにもなかった。「日本はどうなっていくのだろう」と不安と絶望感におそわれた。しかし、自分は自衛官である。国民のために、その最後の砦の1人として、不安や絶望感は押し殺して被災者のために、福島の復興のために、そういう思いで活動しつづけた。

 レンジャー教育で受けた仲間との協力や責任感が役に立った。どんな困難な状況下でも、自分を信じ、仲間を信じ、助け合って任務を達成する責任感が養われた。
 ある上司が言った。「一つに任務に対し、全力で取り組む。その気持ちが1人でも欠けたなら、その任務は達成できない。全員の気持ちを一つに合わせて取り組むのだ」という言葉が活動中の自分を支えてくれた。

 自衛隊の車輛を見ると、みんな手を振ってくれた。頭を黙ってさげ続けるお年寄りもいた。敬礼を送ってくれる子供たちがいた。看板には感謝の言葉や応援のメッセージがあった。中には車に駈けよってきてお礼を言われる人までいた。
「支援活動をしているはずの自分たちが逆に励まされました」
 これまでは訓練という枠の中でしか行動していなかった。しかし、今回の派遣では、すべてが訓練ではなく実行動だった。責任感がいつも伴っていた。この経験から、自分の言動に責任をもつことの大切さを知り、私という人間が成長できたと思うとM3曹は語った。

 長期にわたる連載企画にお付き合いいただき、ありがとうございました。お便りを下さった皆さま、重ねてお礼を申し上げます。
 次週からは、また「戦車と日本人」「ノモンハン戦の最後」からお話を続けます。

(おわり)

(あらき・はじめ)

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