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改めて自分の職に勇気と誇りをもつことができた – 東日本大震災と自衛隊(6)

time 2012/03/21

はじめに
 軍人という仕事について考えています。正当に評価されることがなくても、『言挙(ことあ)げ』することなく黙々と世間の言葉にも、まなざしにも抗議もせず、淡々と受け入れる。そういう姿勢を自衛官からひしひしと感じています。
 今回の総理府の世論調査の結果は、たいへん良いものでした。そのことを喜ばしくも思いながら、なお、世間の無関心に心配をもっています。同時に、空しさも覚えているところです。

 ある自衛官は言いました。『本来、私たちの行動は、敵の銃砲弾、ミサイルが飛んでくる中、次々と倒れる仲間が出る。それでも、私たちは任務を遂行するための訓練を受けています。今回の行動に高い評価をいただくのは、たいへん有り難いことですが、私たちの本質に対しての理解には遠いと思われるのです』

 今回の調査でも、自衛隊の最大の役割はと聞かれて、多くの方が「災害派遣」を挙げておられます。たしかに平時ではそれもいいでしょう。平和が続き、のんびり暮らす。見るべきことからは眼をそらし、聞きたくない話には耳を閉じる。中には自衛隊の武装を解いて、世界各国に派遣できる災害救助組織にすることが正義だというような暴論に酔う方もおられます。何が恐いかといって、こうした人間や国家の本質論の話し合い抜きに、一足飛びに「非武装・反戦争」に走る方がいることです。

 そうした情緒性の高い話は「気持ち主義」の私たち日本人としては、たいへん耳に入りやすいものです。誰だって戦争は嫌いだし、家族の生命ほど大切な物はありません。しかし、人生は不条理であり、不公平であり、不当なことばかりです。もしかしたら、明日、いや今でも私たちは他人の悪意で、財産や生命を失うことがあり得ます。

 現に、お隣の大国はわが国の領海に公船を侵入させ、海上保安庁の巡視船からの退去をうながす呼びかけに、平然と「ここは自国の領土だ」と応答する始末。憲法第9条の『諸国民の公正と信義に期待して』という文言は、何の役にも立っていません。

 先日も若い先生が子どもたちに昔の企業公害の授業を行っていました。子どもたちは得々と『人の生命とおカネを天秤にかけて悪い』とか、『企業の姿勢に怒りを感じる』とか発表します。学校が、いまも浮世離れしている証拠です。同じレベルで、大人になっても、『話し合いをすればいい』とか、『中国人だってふれあえば仲良くなれる』とか真面目に語っている人がいます。陳腐な、ありふれた、感情に訴えるだけの言葉が走り回っているだけです。

 アフリカの中でも、とくにスーダンはひどい地だといいます。そこへ、陸自部隊が派遣されました。武器の使用基準も、「見直す、見直す」と言われながら、一向に変わらない。治安の悪い地域なのに、ひどい話です。外務省のお役人たちにとっては自分の家族や親せきが行くわけでは決してない(現場の外務省の方々は別ですが)。わが国の国際的地位がほんとうに向上するのかどうか。とにかく国連からの話にホイホイ乗っているだけのように見える。誰がいったい、どこで合意しているのかわかりにくい。マスコミだって、そのあたりを詳しく報道しないのは、彼らも外務省の高官と同じエリート仲間だからでしょう。

 同じ国民である自衛官の命をおもちゃのように扱うのは、海外派遣が始まった昔から変わらない。でも、そうしたことに無関心で、自分の家のローンを払えさえすればそれでよく、子供たちがいい学校を出れば申し分ないと考えている人が多いのではありませんか。しょせん、天災も人災も、他人事なのがほんとうなのです。震災瓦礫の処理を受け入れない人々が、いまも全国には多くいることが証拠ではありませんか。

幕末の武装独立論の結末

 きちんと調べたわけではないから、詳しいことは知らない。幕末期に越後(新潟県)長岡藩の軍事総督になった男がいた。徳川譜代牧野家の上級家臣の出身である。江戸に出て、陽明学の精神『知行合一』を学んだらしい。「知ったことは実行しないといけない」という、語弊(ごへい)を恐れずにいえば、自分の思想と身のまわりの現実のすり合わせをしない考え方である。

 その男、河井継之介は前藩主の信頼を得て、1868(慶応4)年3月には、武器商人スネルからミニエー銃やガトリング砲まで買い入れた。彼の主張は、佐幕でもなく勤皇でもないというものだった。詳しくない読者もおられると思うので、ミニエー銃について説明しておこう。ミニエーは発明者のフランス軍人の名前である。前装(銃口から弾込めをするが、銃身内部の銃腔には施条-ライフリング-がある)なのに、特殊な椎の実形の銃弾を使って、弾は旋転しながら飛ぶ。命中率もそれまでの前装滑腔銃と比べたら格段の違いがあった。

 ガトリング砲は「砲」とはいうものの、機関銃の前身である。6本の銃身が回転しながら、次々と装填・発射・空薬莢の排出をする。もちろん動力は人力だが、のちに撃たれた側の記録では、豆を炒るような音がしてブンブンと弾丸が飛んできたとある。新式の兵器、とりわけミニエー銃を多く装備するのは大変なことだったろうが、主家の牧野家の伝来の宝物をどんどん売って金をひねり出したらしい。

 ときは越後方面に4000人もの官軍が入ってきたころだ。現在の上越市高田には北陸道鎮撫総督(ちんぶそうとく)が滞在中で、長岡藩には出兵を迫ってきていた。それを蹴っ飛ばしたのだ。この年は閏4月があった。およそ2カ月、藩論を統一した河井は軍事総督命令で藩境を固めさせた。当然、敵対行為とみた官軍は長岡を攻めようとする。越後縮で有名な小千谷、柏崎に兵を進める官軍。

 やはり、戦争はしたくなかった。河井は5月2日には嘆願書をふところに、官軍の小千谷本営に出向いた。牧野家は徳川の譜代恩顧である。主家に二心はもてない。いずれ戦火が収まったら十分なご奉公をしたい。そういった主旨だったが、若造だった鎮撫軍の官軍は河井を軽くあしらう。屈辱を与えられ、絶望した河井はついに戦うことにした。

 後になって、官軍はひどく悔いることになった。それから3カ月あまり後、河井の戦死をきっかけに長岡藩はようやく降伏する。藩士の損害だけで戦死300名あまり、ということは1000人近くが戦死傷したはずだ。7万石あまりの中藩である。おそらくどこのサムライの家でも誰かが死ぬか、傷を負うことになった。城下町もほとんどが焼かれ、領土全体が荒れ果てた。今になっても、このときの河井の決断については賛否両論があるという。

 このことから、河井の中立政策はもっと研究されていいと思う。対立する大国の一方に与(くみ)して、言われるままに出兵するか。あるいは、独立独行を固守するか。たとえ、国土が侵攻され、焼土になろうとその方針を守り続けるのか。こうしたことを国民の総意としてまとめなければ、歴史から学ぶとは言えないのではないか。小泉元首相が引用した「米百俵」だけが北越戦争から生まれた話ではない。

軍隊という組織を理解する

 昔の陸軍の研究をしていると自己紹介した時のことである。何十年も前、今も、かわいかった女子大生のあどけない顔を思い出す。「もう、滅んじゃってなくなった組織のことなんか調べてどうするの?」。彼女の悪意からでた言葉ではない。当時の私は、その無関心さに感心した。同じように、現在の自衛官たちの存在についても何も知らない。知ろうとも思わない人が多いことだろう。

 私にも軍隊経験はない。お前などに何が分かると叱られても、歴史の研究とはそういうものである。ただ、多くの文献や聞き取り記録はもっている。そこで知った軍隊というものについてお話しておこう。あくまでも日本帝国陸軍の話である。

 軍隊での将校、指揮官というものについて世間はたいてい誤解している。軍はその構成員の職掌について、ひどく明快に規定していた。帝国陸軍では、将校(兵科・各部)と同下士官兵という分け方があった。将校は大将(兵科のみ)から少尉まで9つの階級があり、そのすぐ下の下士官の筆頭者あつかいである准士官(准尉)がいて、下士官は3階級、兵は4等級になっていた。つまり17のクラスに分かれた。役人としての身分でいえば、大将から少尉までが高等武官、准士官下士官は判任武官、兵長以下の兵隊さんは臨時身分(みなし公務員)のようなものである。

 この3つの役割をかんたんにいえば、将校は判断と決定(指揮、個人で決心する)を行い、下士官はそれを兵に指示し実行させるようにする。兵は戦う。このことが民間人にはひどく分かりにくい。下士官は将校に意見は言えるが、その決心を変更させることはなかなかできない。兵にいたっては、「考える」ことすらルール違反である。

 軍隊に好意的な人は将校をただ、格好いいと思っている。その裏側の責任の重さや、とっさの判断力の重要さに気づかない。批判的な人は、ただ威張り散らしているだけのバカな存在だと思っている。それどころか、後者の中には、戦争の真実は下積みの下士官・兵だけが知っているとまで思っている人もいる。

 オーラル・ヒストリー(口承歴史)の難しさはそこにある。軍隊経験者すら例外ではない。しかも、人は自分の実感や経験を大切にする。兵や下士官であった人は、なかなか軍隊の全体像に通じている訳ではない。だから経験者だといっても、軍隊の真実など分からないし、それも当然。元来が、そういう組織だったのだ。

 軍隊が『敵の矢弾丸(やだま)が飛び来る中で』、次々と構成員を失いながら、それでも機能し続ける組織だということが分かっていない人が多い。たとえば、丸の内の大企業の社員さんたちの10%がある日、出社しなかったら。会社は十分に機能するかといえばそうではあるまい。でも、軍隊では35%までは組織の機能を維持していく(もちろん、理論的な数字だが)。

 それは、軍隊がはじめから損耗を覚悟した上の組織だからだ。それらをすべて受け入れて、指揮をとり続けるのが将校である。将校は敵弾が炸裂し、機関銃がうなり、陣地が破壊され続けても冷静な判断を下し続けられるように教育される。数十万人も陸軍には将校がいたが、本職だった士官学校出身者、予備士官学校を出た学生出身者、下士官から選抜され教育を受けて任官した将校達で、それに応えられなかった人の方がはるかに少ない事実がある。多くの将校は、ノモンハン戦で敵将が褒めたように、熱心に巧妙に戦い死んでいったのだ。

 将校は厳しい責任を負わされるが、同時に権限も大きい。下士官という存在は興味深い。単なる兵士の年長者ではない。軍隊の本質をつかんでいた。ただし、将校と下士官の決定的な違いがある。将校は戦術の思考過程を身に着けていることだ。兵たちは目前の敵を倒すことだけに没頭する。教育そのものもそれによって企画・構成される。

役割社会・自衛隊

 役割社会の典型である自衛隊という組織。そこで最も嫌われるのは、お互いの役割をしっかり果たせないという無能さである。役割分担をきちんとこなせず、下の人間に無駄な働きをさせたり、無意味な時間を費やさせたりするのは、上級者の無能・怠慢が原因である。だから、除隊した元隊員が自衛隊への批判的な言葉をもらすのは、どこかで接した幹部(将校)や曹(下士官)が無能だったことが原因になっている。

 ただし、このことは自衛隊という組織に関する問題ではなく、個人の資質についての問題である。自衛隊が負うべき責任は、そんな人間を責任ある地位に着けたという管理上のことであろう。つまり自衛隊は社会の縮図である。学校歴があれば、誰もが人格も優れ、能力があり、精励する人であるわけがない。同じように、学校へあんまり行っていない人すべてが、能力が低く、人格も低劣で怠けものというわけでもないと同じである。しかし、世間が近代の学歴主義で成り立っている以上、役割組織もまた、近代能力主義の選別がまず優先される。

 もっとも、あまり知られていないのが、自衛隊への応募要件である。主に、大卒や大学院卒の人が応募するであろう「一般幹部候補生」つまり「兵科見習士官」の応募資格には学歴の指定はまったくない。このことは帝国陸軍の士官候補生召募要件とまったく同じである。昔から軍隊は徹底した能力主義なのだ。

弱音や不安を見せないこと

 ある通信中隊の准尉である。入隊は自衛隊生徒からだから、30年以上昔になる。被災者の実情をよく知ろうと努めた。多くの部隊が被災地にあるグランドを指揮所などに使っていた。そこにはたくさんの少年野球クラブなどの写真、記録が残されている。それを見るたびに、子供たちに早くグランドを返してあげたいと思った。
 
「これまでの訓練では、隊員に少しでも動揺を与えないように、弱音をもらしたり、不安な表情を見せないようにしたりしてきました。しかし、それはいつも終了が決まっている行動でした」

 今回の作戦行動は、終了が全く予想されない状況だった。さすがに、K准尉の心も折れそうになった。そんな時だった。よし、頑張ろう、元気を取り戻そうと思ったのは、自分がふだん元気づけてきたはずの後輩であり、若い隊員たちだった。
 
「この作戦行動がなかったなら、私は自分を支えてくれている人が上司だけだと思っていたことでしょう。こんなにも多くの後輩たちが、若年隊員が支えてくれていた。それが分からず、たくさんの勘違いをしながら、いつもと変わらない仕事をしていたのです」

 そうした自分の貧しさが悲しかった、これからはもっと多くの隊員たちとふれあって
切磋琢磨していくつもりですとK准尉は語っていた。

今こそ誇りが

「私たちの任務は国民の生命を守ることです。今回の災害派遣では命を助けることができませんでした。それがとてもくやしい」

 だからこそ、一人でも多くの行方不明者を家族のもとへ送り返そう。そのために最善を尽くそうと中隊長は言った。その言葉はいまも耳に残っている。
 ほんとうのことをいうと、以前は、自分の自衛官であるという職に誇りをもっているかと聞かれたら、自信をもってその通りとは答えきれなかった。いまは胸を張って、誇れる仕事だと答えられる。
 
「行方不明者を発見し、搬送し、身内の方が避難所からやってみえます」
 ありがとうございましたと、お礼を言われた。胸がつまり、涙がこみあげてきて困った。我々がやっている任務は、間違ったことではないと改めて自分の職に勇気と誇りをもつことができたとS2曹は言う。
 
「今回の活動で特別なことをしたとは思っていません」
 与えられた任務を着実に実行する。任務の重要性を疑わない。言葉ではうまく言い表せないけれど、当時は、今自分たちができる事の一つひとつが被災者のためになる事につながっていくと思って頑張っていた。

真の即応性とは

 即応性といわれて久しい。軍隊なんだから何が起こってもすぐに行動できる。映画やテレビドラマを見なれ、軍事マニアの評論だけを読んでいれば、軍隊は何が起きてもすぐに行動できるし、誰もが動けるだろうと思いやすい。
 
ところが、実際に軍隊を動かしているのは人間であり、自衛隊はわが国社会の一部である。政府や地方自治体などが、ある事態への対処が遅いと非難されることもあるが、それは自衛隊も役所の一部である点で同じようなこともある。それで言われるようになったのが「動ける自衛隊」であり「即応性」という言葉だった。

 O3曹は航空機整備陸曹。ある飛行隊のヘリコプターの整備員である。航空科の仕事は多い。とりわけ、今回の震災に派遣されるとなると、偵察、捜索、物資輸送、人員輸送、救助、連絡などの仕事が一気に舞い降りてくる。
「ホイストで救助したおばあさんを、安全な学校のグラウンドに降ろした時、とても感謝されて、こちらを拝まれていました」
 そのとき、本当に助けることができてよかった。自衛官でいてよかったと感じた。感謝の手紙をたくさんいただきました、我々の存在意義が再認識されてよかったと語ってくれる。
 
「真の即応性とは、本当に任務を達成できることであり、つまり、それは日頃の教育、訓練、環境、生活、さらには体調管理などがいかに大切か私は教わった気がします」

 先の見えない派遣活動。みんなが少しずつストレスを抱えていった。指揮官が上手にシフトを組んでくれて、長い活動を乗り切れたと感謝している。

(つづく)

(あらき・はじめ)

「荒木さんの書く本だから信用できます」(自衛官)
東日本大震災と自衛隊

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