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連帯感を支えるコンボイ – 東日本大震災と自衛隊(5)

time 2012/03/14

はじめに
 コンボイ(CONVOY)というと、軍事用語の「護送船団」を思い出す人が多いだろう。ここでいうコンボイとは、ユニークな人々の群れを指す言葉である。アメリカの文化人類学者プラースが自分の研究に、以前の研究者の報告にあったこのコンボイ(道連れ)の概念を導入したという。その定義は、「ある人の人生の特定の時期を通してずっとその人といっしょに旅をつづける親密なユニークな人々の群れ」である。

「人生は旅」、あるいは「重い荷を背負って山道を登るのが人生だ」という言葉には説得力があると感じる人もいるに違いない。人は生まれてから老いてゆくまで人生行路をたどる。ふつう、その旅の道連れは配偶者であり家族である。しかし、私たち自身が経験しているように、親密な友人や、職場を共にする同僚、時には上司や部下といった血がつながらない人々も大切な存在になることがある。

 軍隊、武装組織といったところでは、生死を共にしたり、互いに助け合って任務をやり遂げたりということからコンボイが生まれやすいという。『決死の世代と遺書』を書いた宗教学者森岡清美氏の主張である。氏は同世代にあたる大東亜戦争末期の、主に学徒を中心にした特別攻撃隊員の手記や遺書を分析した。そこには、日本人の古くから伝わる『護りたい者のためにつとめを果たす』といった尊い決意が多く見られた。

「つとめ」の意識

 アメリカ軍人は、自分の好むところを自ら選んで実行する。これを「自主的選好性」と名づければ、日本人には「受容的勤勉性」がある。いわれたことを、まず実行する。
 それが、『中隊長、志願者はいるかなどと聞かないでください。言われたことを、ぼくらやりますから』という隊員の声があがる理由である。

 過去の戦いの中で、アメリカ軍人の中には、危険な任務に進んで志願した事例はいくらでもある。アメリカ人は自由主義で、個人優先だから、国家のためにという気持ちがうすい。だから、日本人に比べて弱いのだとは、大東亜戦前の世論をつくった人々が流したデマである。少しでもアメリカの歴史を調べれば、彼らが自らの意思だけで、どれほど国家や共同体のために危険をいとわない行動をとるかすぐにわかる。

 古くは、「アラモの僧院」の戦い(1836年)である。伝説的な西部の男、デービー・クロケットのほか186名の義勇兵が3000名のメキシコ軍と戦い、降伏を選ばず全滅する。結果、テキサス州の独立とアメリカへの編入をかちとった。

 つづいてのアメリカ・メキシコ戦争(1846~48年)を前にして、45年には、カリフォルニアにベア-・フラッグの反乱が起こる。これもまた、自ら志願したアメリカ人たちによる行動である。ジョン・フリーモントは約60人の部下を率いて、カリフォルニア湾の北にあるメキシコ人の町ソノーマを占領した。「熊の旗」をあげてカリフォルニア州の独立を宣言する。あとはアメリカ合衆国がそれを併合するだけだ。

 秋山真之が観戦したアメリカ・スペイン戦争(1898年)では、セオドア・ルーズベルトを隊長とする義勇兵ラフ・ライダーズ(荒馬騎兵隊)の活躍や、サンチャゴ湾口の封鎖作戦などが有名である。アメリカ人の勇敢さは、まさに伝統といっていい。ルーズベルトは有能で勇敢な軍人として名声を高め、のちに大統領となった。

 大東亜戦争のさなかでも、被弾した航空機のパイロットが脱出せず、わが艦艇や陣地に体当たりを実行した例もしばしばみられる。もう帰れないと覚悟して、自爆するのは日本人ばかりではなかった。

 また、東京初空襲のドゥリットル爆撃隊の参加者も、みな熱心にそれを志願した者ばかりだった。陸上機の双発爆撃機で航空母艦の上から飛び立つ。これだけで、どれほど危険なことであることか。防備の固いはずの敵の首都東京ほかを奇襲する。脱出経路のほとんどは日本側の制圧地域であり、海上である。なんと無謀なばかりの勇気としか褒めようがない。

 今回の原発への冷却水投下という未知の危険へ立ち向かった隊員たちの話をきいてみた。そこでは自らの心情を大東亜戦争末期の「神風特攻隊」の隊員になぞらえる言葉がきかれた。その困難な任務の遂行にあたって、自分が選ばれたという誇りがあったという。
 
 特攻隊の方々と自分を比べるのはおこがましいがと言葉を選びながら、ある隊員は語った。命令を聞いたとき、自分はおそらく、当時の特攻隊員の気持ちに近かったのではないか。「これができるのは、自分たち自衛官しかいない。できるのは、自分たち航空隊員だけだと思ったのです」

 こうした自衛官の「任務意識」を支えたものは何だろうか。先のT2佐の語る「やるしかない」という気持ちを生んだ元になったものについて考えてみよう。

「つとめ」を果たすために努力する

 人が行動する意欲の支えになるものの一つに、その主義や思想について実践しようとする気持ちがある。そうした意欲は主義や、理想や、信念の内容にかかわってくる。この中には、これこそが自分の役割だといった信念もふくまれている。人との連帯の意識に基礎をもつ動機ということから、いわゆる内発的動機とは区別されるだろう。「一人にやらせるわけにはいかない」とヘリに同乗し、投下のスイッチをいっしょに押した先任陸曹。ここには自分が先任、陸曹の最古参であり、若者たちの指導者であるという役割へのこだわりが見られる。

 自分の「つとめ」の意識にもとづいて、その役割を達成しようとする自衛官がいる。人は社会的存在である。役割意識というと、どうしても「人間の本音とちがうニセモノ」と誤解されがちだが、自分と周囲のつながりの重さを実感すると、その人の存在価値についての自信にまで影響をおよぼすのだ。

 社会学者の森岡清美は、その著書、『決死の世代と遺書』(新地書房・1991年)の中で、戦争末期の若者たちの心の中に、「つとめに努力することに価値をおく努力型自発的役割人間と、一緒に死ぬ仲間やそれによって守ろうとする家族や愛する人々に自己を同一化する連帯意識」とを見だした。

 森岡はいう。役割人間には2種類がある。習俗的なそれと、自発的なそれが存在する。習俗的な役割人間は、現在ある社会規範にのっとって自分の役割を把握し、それを遂行することに人生の満足を見つける。対して自発的役割人間は、自分の状況規定にしたがって役割を取得し、その遂行に人生の満足を発見する。

 自発的役割人間は、進んで自分のおかれた状況を自分なりに把握し、積極的にその中での自分の役割や、自分がとるべき行動を考える。
 今回の震災派遣では、そうした隊員の姿を多く見ることができた。

心に届く贈り物

 ある師団の音楽隊員である。宮城、福島、山形各県の被災地での激励演奏、小・中・高などの学校の卒業式、入学式、各市の慰霊祭などで演奏した。

 「演奏を聴いてくださる方々は、一人ひとり経験した恐怖、哀しみ、苦労があります。音楽はそのような方々の心の特効薬になります」
 
 人命救助、瓦礫の除去、生活支援など、多様な任務をおこなう自衛官の一人として、自覚と誇りをもって演奏をつづけたという。心に届くものは成果として見えにくい。でも、音楽のもつ力を改めて実感した。
 
「発災直後は、あまりの状況に、ほんとうに音楽隊は必要なのか。そう疑問をもったものでした。でも、私たち自衛隊音楽科隊員にしか、現場での演奏はできません」

 そうした認識のもと、民間の団体とはちがうことを実感した。自分が自衛官であることをあらためて自覚したという。
 心に残る被災者の姿、それは石巻市での激励演奏会のあとのことだった。50~60代の女性から強く手を握られた。「頑張るから」と声をかけていただいた。たった一言だったけれど、力強い握手とその表情から、その女性の生きる力を感じた。

心で泣き、笑顔で演奏

 別の師団音楽隊員、ベテランのO准尉もまた、音楽の力を実感した1人だった。
 
 岩手県沿岸地域、11市町村の避難場所などで40回の慰問(激励)演奏会をおこなった。初めての演奏は、発災からほぼ1カ月がたった4月7日だった。
 
「被災地の現状を初めて見たときは、言葉も出ませんでした」

 こんな状況の中で演奏をして良いのだろうか、被災者は我々の演奏を受け入れてくれるだろうかと心配もした。しかし、演奏修了後には多くの方々から感謝の言葉をいただいて、とてもうれしかった。家と家族を失った人もいた。避難所でも、両親をなくした小さな子供が無邪気に遊ぶ姿も見て、胸がつまる思いもした。でも、「音楽隊の演奏を聴いて、生きていく勇気をもらいました」という言葉を聞いた。
 
「音楽がこれほどまでに人の心を動かすことができるんだ。私は、自衛隊の音楽隊員で
本当によかったと改めて感じることができました」
 心で泣き、笑顔で演奏とは、音楽隊長の統率方針だった。

目に見えない敵との戦い

 南相馬から川俣、いわき、つづいて広野の順に除染所を開設していった。Y士長は除染車の操縦と操作を担当し、民間人や車の除染をおこなった。また、20キロ圏内では自衛隊車輌・重機の除染をし、洗車もした。
 
 震災直後は、自分の地元福島が地震・津波だけでなく、原発の事故によっても混乱し、苦しみ、逃げ惑う人たちを見て、ほんとうに悲しかった。
 
「でも、自衛官として自分たちにしかできない任務についています。そのことに誇りとやりがいを感じたのです。そして、福島のため、ここで暮らす人々のためだという強い意志をもって任務を遂行し続けられたと思います」

 派遣当初、現地では寝ることもままならなかった。まともに食事もとれない、風呂にも入れないといった日々が続いた。でも、日ごろの訓練でも似たような状況はあったし、何よりも活動を支えてくれた思いがある。
 
「自分にとっては初めての派遣任務でしたし、とりわけ原子力災害派遣という目に見えない敵との戦いということもあって、高い緊張感が維持できたのではないか」とY士長はいう。

 除染作業をしている間、これまで身につけてきた知識ではうまくいかないことが多くあった。心が折れそうになったこともあったが、感謝やねぎらいの言葉をかけてもらえたことで乗り越えた。あらためて自衛官になってよかったと思った。これからもより多くの技能や知識を体得して、国民の期待にこたえられる自衛官になろうという思いが強くなった。
 
 5月には陸曹への昇任試験のために、いっとき派遣任務からはずしてもらえた。協力してくれた皆さんに感謝している。部隊・自衛隊に貢献できる人間になれるよう励みたいという。

使命感こそが任務遂行能力の大前提

 つづいて語るのは、ある高射特科群の中隊長であるS1尉である。
 
 中隊は石巻市全域で行方不明者の捜索をはじめ、道路啓開、物資輸送・管理、給食支援、被災者ニーズ把握業務などをおこなった。派遣時は北海道第1高射特科団で編成された多目的支援中隊長だった。S1尉はすべての行動の源泉は使命感だったという。
 
 「4月中旬でした。石巻市渡波地区で道路を啓開していました。女性の方から、行方不明になっている3歳の息子さんの発見情報の提供依頼を受けました」
 
 手書きのメモだった。子供の容姿の特徴が書かれていた。翌日の作業中に、それかと思われる遺体を発見した。電話で通報し、すぐに確認に来てもらった。遺体は確かに、そのお母さんの息子だった。
「ごめんね。やっと会えたね。さみしかったね。この手で抱きしめたかった。自衛隊の皆さんが会わせてくれたよ。大きくなったら、自衛隊に入って、困っている人を助けようね。と、ご遺体のお顔を洗って、その腕で抱きしめられました」

 線香をたき、隊員はその周囲で手を合わせた。誰の胸にも悲しみがいっぱい広がっていた。かける言葉はなかった。若い隊員も涙をこらえ、その光景を見つめるしかなかった。
「私が、そして隊員みんなが感じていたのは悲しみだけではありません」
 そうS1尉はいう。心の中に生まれていたのは、強い使命感だった。彼ら一人ひとりの「つとめ」の意識である。与えられた状況の中で、何をすべきか、何が要求されているのか、それを思い、強い意志で実行する。
 
「服務の本旨の実践、いついかなる任務にも即応できる強靭性がある部隊・隊員の育成
のために教育訓練を積み重ねてきましたが、何よりの教範は今回の活動でした」

人と人との絆

 人生という旅をしつづければ、次々と見える世界は変わっていく。終末がいつになるかは分からないが、それまで足を止めるわけにはいかない、行き先のない旅だろう。また、人生は楽ばかりではない。我慢と辛抱が大切だというのが古くからの教えである。そして、人生という旅を続けるときには同行者の大切さはいうまでもない。旅の途次では、人の情けに助けられることもあるだろう。

 日本人とアメリカ人を比べると、周囲の人と支え合う存在と、集団と個人は別にあると考えている存在であるとしばしば言われてきた。日本人は自我が発達していないなどとマイナスの評価もされてきている。しかし、このコンボイの感覚は、日米どちらにもあるのではないか。

 とりわけ、有事において、身近な近親者や友人と別れざるを得ない状況では、日米どちらもあまり変わりはない。そうでなければ、「戦友」という思いも、「バンド・オブ・ブラザーズ(兄弟の絆)」という言葉も生まれることはないだろう。

 私たちは「会社人間」といわれ、「個が育っていない」とおとしめられてきた。しかし、学校や職場の同窓会や、そこから生まれてきた親密なグループの会に加わるのはなぜだろうか。自衛隊には中隊ごとの同窓会があったり、ある指揮官を中心にした懇親会が続いたりといった風習がめずらしくない。

 それは自分が人生という長い道のりの旅の途中で、他者から育てられたり、教えられたりしたことへの感謝の気持ちがあるからだ。そして、自分という存在が、周囲との絆に大きく規定されて、「こうした状況でこうである以上、自分はこうするしかない」という主体的な選択に私たちは安心感をおくからだ。その絆を生み、育てるのが職場のコンボイといえるのだ。

 自衛官、軍人たちがおかれる状況は、ほとんど本人たちが決めることはできない。状況の中に、いきなり投入されるのがふつうでもある。そうした時に、主体的に役割を選びとる、それが「つとめ」と認識される。欧米のような自分と他者を切り離してとらえることがない。むしろ、相手や仲間の存在があってこそ、自分の役割認識も強化することができるのだ。

彼女らも「戦っている」

 N1尉は、統合任務部隊司令部防衛部石巻市連絡幹部として市役所や市の災害対策本部で連絡調整業務にしたがった。自分が東北出身者であり、八戸の駐屯地にも長年勤務したことがある。なんとか現地で活動したいという思いがかなった。石巻市役所での勤務中のことである。
 
「職員の方々は自分たちも被災者であるのに、寝食を忘れてという形容そのままに自分たちの業務に立ち向かっておられました」

 ある若い女性職員は、日中は担当窓口で業務に追われていた。いつ食事をとっているのかもわからないほどだった。夜は夜で書類を書くようなデスクワークをこなし、会議の連続で帰宅はいつも午前になってからだった。
 
「我々と同様に、彼女らも戦っているのだと思いました」

 また、自らが元気をもらったこととして、いつも所属している部隊の上司が多忙の中、わざわざ激励に来てくれた。そして、職場の同僚たちからの大量の慰問品が送られてきたことが書いてあった。
 現地では共に働く市職員への連帯感、そして現職の仲間たちとのつながりが、N1尉を励ましていた。

黙々と言葉のない生活をくり返す隊員

 福島県庁の連絡幹部として勤務した。派遣されたのは4月下旬からの約20日間。震災から1カ月、遅いながらも応急復興が進んでいた青森や岩手、そして宮城の各県とは対照的に、福島県はもやもやした状態だった。出口が見えてこない原子力災害のおかげである。F3佐は見通しの立たない毎日をいまふり返る。
 
「通常の災害派遣のように、できます、やりますと支援活動を積極的に調整できる立場ではなかったことが、立場上でも、心情的にも非常に困難を感じた勤務でした」とふり返る。

 LO(連絡幹部)の仕事それ自体は、過去の部隊勤務での指揮所活動を経験していれば、とくに難しいこともなかった。心に残ったのは、
「同じ隊舎で寝起きしていた部隊がありました。捜索活動から帰ってくると、洗面所で猛烈なにおいがする(ゴム製の)胴長を黙々と洗濯していました」
 淡々と夕食をとり、早めに静かに消灯するという毎日を送っていた。黙々と言葉のない生活をくり返していたことだった。

仲間が一緒にやっているという安心感

 施設部隊の最先任上級曹長H准尉の話。
 南三陸町で道路啓開、気仙沼市で行方不明者の捜索、瓦礫の除去、そして仮設住宅用地の整地などを部隊は行った。
「被災されて、避難されている方々へのライフラインを一刻も早く復旧したかった」
 被災地では、財産もふくめて、メモリアルなものを避難者たちに一品でも多く届くように発見し、保管をしたかった。活動中はいつも、もし、自分がこの家の住人だったらと考えつづけていた。

 厳しい活動を支えていたものは、
「PKO活動や、他の災害派遣などで十分ではない生活環境で活動してきたこと、そして何より、仲間と一緒にやっているという安心感でしょう」
 そして、被災地で目にした住民たちの感謝の言葉や行動だった。車輛を見ると、立ち止り、深々と頭を下げる被災者の人たち。自衛隊さんありがとうと書かれた手製ののぼりや張り紙。
 
 仲間、そして、本来、見知らぬ人々とのつながり、これこそが自衛官の行動を支えて
きたといえるだろう。

(つづく)

(あらき・はじめ)

「荒木さんの書く本だから信用できます」(自衛官)
東日本大震災と自衛隊

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