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気持ちを大切にする自衛官 – 東日本大震災と自衛隊(3) (荒木肇)

time 2012/02/29

はじめに
 五反田猫様、日米比較について適確なご指摘、ご教導をありがとうございました。また、O様、保田與十郎の指摘されたアイロニーとデイオレスティクのお話、とても参考になりました。お礼を申し上げます。
 
 Y様、ほんとうに原子力発電所の事故には驚かされました。今回の新刊には、3号機に決死の冷却水投下をしたパイロットたちの話ものせてあります。
 
 H様、自衛隊OBの方であられましょうか。自衛隊の教育訓練は大丈夫です。それは、私たち日本人の中に連綿とつながるDNAの存在もあり、自衛隊員たちの愚直で、真剣な姿勢のゆえでありましょう。
 
 抜刀マン様、隊員の皆さんも美しい涙を流されました。彼らもまた、それぞれの戦いの中で自分を見直し、社会を見つめ直し、日本を守るという気持ちを高めておりました。
 
 丼様にもありがたいお言葉をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 I様、自衛官、隊員たちの真の姿を少しでもお伝えしたいと思っております。

「気持ち主義」と自衛隊

 日本人は他者の気持ちを大切にする。私たちも日常生活をふり返って、どれほど自分や接する人々の気持ちをおもんぱかったり、推測したりしていることか。それは私が若いころ読んで、たいへん影響を受けた『日米子育て比較』でも大きく取り上げられている日本人の特性でもある。
 それは、役割社会という伝統を残し続けてきた私たちの世間の仕組みの問題でもある。役割は人と人との相互関係の中に成立する。それぞれの役割は補い合い、支え合う。それは決して「遅れた社会」だからとか、「個としての意識が弱い」ということではないだろう。

 人間関係が大切であることはいうまでもない。その関係を円滑にするためには、理を通すより、まず人の気持ちを理解することが大切である。さらに互いの気持ちが通じ合うことで連帯感が強まっていく。自分が引き受けた役割についての「受容的勤勉性」も高まるのだ。
 言われたことをまずやってみる、与えられた状況の中で自分の役割を把握して、自分のするべきことを自ら考えて実行する。これが受容的勤勉性である。

 これに対して、自主的に判断して、自分が選んだことを実行する傾向が高いのがアメリカ人である。お仕着せや、言いつけられたことをするのは自分の責任を放棄することだと考えるのがアメリカ人。これが、すなわち「自主的選好性」である。

 私たちは他人が何かをしたときに、その道徳的判断を問われると、行為の結果だけでなく、その時にどういう気持ちだったかに関心が高い。どんな気持ちからその行為をしたか、そして今はそれについてどう思っているか。これが改悛(かいしゅん)の情や、反省を示すことで量刑を軽くしようとする法廷戦術に関係する。また、犯罪ドラマなどを見ると、人の気持ちの読み違いや、感情のもつれから事件の糸口が語られることが多いようだ。

 アメリカの法律事情に詳しい友人に聞くと、アメリカ人はその犯罪行為の結果や、過去の犯罪歴に興味を向けるという。犯行時の気持ちなどは、あまり大事にされないし、関心も持たれる程度がわが国と比べると、だいぶ低い。

 テレビドラマを見比べても、アメリカでは事件が落着すると、だいたいあっさり終わることが多い。対して、わが国の刑事ドラマでは犯人が逮捕されたり、裁判が終わったりした後に、登場人物の喜びや悲しみ、後悔や感謝の気持ちが表現されることが多いのではないだろうか。刑事の取り調べの場面でも、容疑者の気持ちを何とかほぐそうとする刑事のセリフはたいへん長いし、情緒的でもある。

 今回の派遣でも、自衛官たちは被災者、同僚、部下、上司たちの気持ちに大きく動かされていたことがわかる。

ありがとうの気持ち

 音楽隊はふだんから広報活動の一環としての演奏会への出場、あるいは式典・儀式などで演奏をしている。もちろん、有事には銃をとって司令部護衛部隊である任務も負う。重い楽器を保持して数時間も立つこともあり、実は体力が抜きんでている隊員も多い。
 
 S准尉はある音楽隊の先任上級曹長である。岩手県沿岸地域で活動した。避難場所などを回って、被災者たちに演奏を聴かせたのである。

「最初の演奏は、被災から1カ月後の4月7日でした。被災地の状況を初めて見た時には、言葉も出ませんでした」

 こんな状況の中で演奏をしていいものだろうか。我々の演奏を被災者の方々は受け入れてくれるのだろうか。そんな不安をもちながら演奏を始めたものだった。ところが、聴き手はほんとうに楽しんでくれた。演奏後、多くの人たちから「ありがとう」「元気をもらった」「頑張ります」などといった声が届いた。家と家族を失ったが、演奏を聴いて、生きてゆく勇気を貰いましたという感謝の言葉もあった。
 
「音楽はこれほどまでに人の心を動かすことができるのだ。自衛隊の音楽隊員でいてほんとうに良かったと、改めて感じることができました」

 隊長の統率方針は、1)心で泣き笑顔で演奏、2)最善をつくせ、3)ありがとうの気持ちだった。被災者の人からのありがとうは、そのまま返したいと思ったという。

震えていたおばあさん

 ヘリコプターは活躍した。道路が途切れ、橋が落ちてしまった所などは、ヘリだけが頼りだった。飛行隊のO2曹は整備陸曹である。地震が起きた時には、すべての電気が止まってしまった。すぐに発電機が回されてテレビがついた。画面を見ると、これまでに見たこともない情景が映った。まるで映画を見ているようで、とても現実のものとは思えなかった。ただ息をのんで見守っていただけだった。津波の白い波頭を見たとたん、みんなが画面に向かって「逃げろ」と叫んでいた。
 
 すぐに現場に出動した。航空偵察、空中からの行方不明者捜索、物資空輸、ホイスト(吊り上げ)救助などに動いた。
 
「2回目の患者空輸の時でした。現地に到着して患者4名を乗せました。いざ、離陸しようとした時です」

 住民がヘリに駈けよって来た。すぐにパイロットに状況を告げて、話を聞いた。おばあちゃんも乗せてほしいということだった。ゆとりはある。パイロットに伝えて離陸した。
「おばあちゃんは航空機に乗ったのが初めてだったのでしょう。身体が震えていました」
 声をかけ、おばあさんの肩を抱いてあげた。おばあさんは自分にしがみつくように身体を寄せられ、何度も「ありがとう」と言われましたとO2曹は思い出す。

「かわいそうです」

 船岡に駐屯する施設団の若い隊員の話である。行方不明者捜索中に遺体を発見した。みな、一人でも多くの遺体を見つけて、家族の元に返してあげたいと懸命な捜索を続けていた。遺体を発見したら、すぐに報告する。それが当たり前だが、若い隊員がそれを怠った。

 なぜ、すぐに報告しなかったかを尋ねられて、若い隊員は口ごもりながら語ったという。
 
「あたりに民間人の方々が多くおられた。報告した時点で、ご遺体がたくさんの民間人の目にさらされることになってしまう。それがかわいそうだと思ったと言うのです」

 S2尉は考える。報告が遅れたことがいいのか、悪いのか。人それぞれに上司としての判断は異なるだろう。「でも、私は・・・」と言葉を続けてくれた。「私的には人情味のある判断だったと思います」

被災者の気持ちになって

 上からの情報だけではだめだ。被災者のニーズを自分たちで掘り起こせ。東北方面航空隊は、ヘリによる物資や人員輸送などで「ほんとうの支援」を目指していた。当初、航空隊は上級部隊や自治体からの『○○を届けてくれ』、『□□では孤立した人がいる』といった要請があると、すぐに出動した。ところが、ヘリが現地に到着すると、被災者が願っていたはずのモノがまるで違っていたり、状況が変わっていたりして実態に合っていなかったことが多かった。
 
「これが実態なのだ。とにかく自分たちで被災者のニーズを掘り起こしていかなければ、相手の気持ちをくんだ、成果につながらないと思いました」と、ヘリコプター隊の副隊長A2佐は言う。

 航空隊が取り組んだのは「GOYO(御用)」作戦だった。昔の酒屋の御用聞きさんのように被災者の元に飛んで、相手のニーズを直に聞いてくるのだ。女性の被災者は男性隊員では言いにくいこともあるだろう。そこでWAC(女性隊員)の出番だった。部隊では彼女らを「御用レディース」と呼んだ。

被災者から感謝されていいのか

 T士長は2010(平成22)年に入隊したばかりの女性隊員である。宮城県のある町に開設された入浴支援施設で被災者の人たちと出会った。
 
「被災地で活動できるという心の高ぶりはありましたが、派遣隊員が私でいいのか?
 派遣中に被災者の方々に不愉快な思いをさせてしまうのではないかと不安はいつも持っていました」と語る。
 
 ところが、入浴される方々から、ぎゃくに「いつもありがとう」「隊員さん、疲れていない?」などと感謝や優しい言葉をかけられる毎日だった。多くの隊員は自分も含めて、派遣期間が終われば、帰隊することができる。家族や仲間と会える。自分の家もある。そういう自分たちが、被災者の方々から感謝されていいのかとも考えていた。
 
 勤務する最後の入浴日のことだった。いつも母親といっしょに来る女子中学生が一人で来た。お礼の手紙を一人ひとりの隊員に渡したい、しかもみんなにということから勤務が明けるまで待つことになった。聞けば、体調が悪く、母親には内緒でわざわざお礼を言いに来てくれたらしい。
 
「お姉ちゃんたちみたいな自衛官になりたい」。彼女はそう言ってくれた。

俺たちは何のためにやってきたんだ

 活動中のミーティングでの出来事だった。M1尉は船岡駐屯地での指揮所活動をしていた。ある他方面隊偵察隊の運用訓練幹部である。活動現場には毎日のように出かけて、状況をきちんとつかもうとしていた。「被災者の方々の気持ちをくみとれるように、積極的に挨拶をし、話をしていました」と語る。M1尉の実家も全壊していた。
 
幸い、家族は無事だったが、被災者には一日も早く元気になってもらいたかった。
「ある日のミーティング中でした。陸曹が後輩たちに語りかけていました」

 俺たちは何のために、遠くA県からこの東北の地までやってきたんだ。すべては被災者のためだろう。今、やらないでいつやるんだ。俺たちの存在の意義は何だ。今、この時のためだろう。今だろう、俺たちは。
 
 そう陸曹は若い後輩たちに語りかけていた。
「人間ってすばらしいな、人と人とのつながりはすばらしいなと、いろいろな場面で感じました」と、M1尉は話をおさめてくれた。

メールの一文で目が覚めた

 1980(昭和55)年生まれの、若々しい部内幹部候補生出身のB2尉は、筆者ともともと面識があった。初めて出会ったのは山陰のある部隊の成人式である。B2尉は当時、任官前の幹部候補生で小隊長を務めていた。技術部隊なので、周りの部下はほとんどが年長の陸曹ばかりで、統率にも苦労して悩むことも多かったらしい。
 
 今回の派遣では、生活支援隊の運用幹部として指揮所の勤務、つづいてW町での入浴支援隊長として現場に出た。
「初めての災害派遣でしたが、現地で惨状を見て、被災者に対する支援への思いが高まりました」と語る。

 指揮所では直接に被災者と接することもなく、間接的に役に立つ支援ができればと思いつづけていた。それが現場の入浴支援隊長としてW町の現場に出ることになった。
 
「派遣期間の終盤にも近づき、最後の支援隊長として、撤収に関しての調整・見積もりが主な仕事になるだろうと思っていました」

 仮設住宅への入居も進み、撤収時期も間近になっていた。ところが、連隊長からメールが来た。『被災者中心で状況判断を実施せよ』、この一文を読んでB2尉は目が覚めた。
「あくまでも被災者に対する入浴支援に来ているということをあらためて認識しました」
 自分の至らなさ、被災者への気持ちの薄さをつくづく反省したという。この率直さにも筆者は候補生時代のB2尉のことを思い出し、いい青年たちが自衛隊にはいるなという思いを深くさせられる。
 
 入浴所への感謝のメッセージに、次のようなものがあった。いまもB2尉には忘れられない。『ほんとうに長い間、ご支援ありがとうございました。失ったものはありますが、得たものも多くありました。お互い、これからも同じ気持ちで頑張りましょう』

言われたことしかやらないのはなぜか

 気持ち重視は何につながるか。わが国には人が感じていること、あるいは望んでいることを洞察しなければならないという要求が根強くある。KY(空気が読めない)という言葉があった。あたりの様子や雰囲気、みなの表情を見て、適切な言動をとる。場を乱さないとか、みんなの気持ちを壊さないなどの配慮ができなくては一人前ではないという常識もある。ただし、KYについていえば、必ずしもKが正義であるわけもない。ただし、一応は気持ち主義の原則を守っているといえる。

 いまどきの若者は「言われたことしかやらない」と非難されるが、アメリカ人にこれを説明するのはたいへん難しい。直訳したことがあるが、相手は「言われなくてはやらないのは当たり前だろう」といって不思議な顔をした。だいたい、日本人は「はっきりと物事を言わない」というのが、向こうが持つ感想である。

「言われたことしかやらない」のは、相手の気持ちが読めないからだろう。ふり返ってみれば、1980年代(昭和50年代後半)から30年、一世代の間、私たちは現代化した社会にいる。現代化社会の指標の一つは「少子化」である。子供たちは群れて遊ぶ機会が減り、核家族化が進み、異年齢の人とふれあうことが少なくなった。

 二つ目の指標は「学校化」といわれる。ほとんどの子供が高校に進学する。そのまた半分以上が進学するとなると、学校教育が教育の主流になってしまう。いつの間にか、親も世間も学校だけが教育の場所だと思い始める。モンスター・ペアレントが現れるゆえんでもある。そうした中で、若者はせまい人間空間の中だけで暮らすようになった。

理不尽な先輩・後輩の関係もうすれてきた。やかましい近所のおじさんやおばさんにも会うことがなくなった。おかげで、他人の気持ちを汲むという訓練が少なくなっている。

気持ちを一つに

 浪江焼きそばが好物だった。福島県は3つの地域に分かれている。海岸よりの浜通り、福島、郡山などがある中通り、そして会津である。浜通りの町の一つである浪江町はご当地グルメの焼きそばで親しまれてきた。N3曹はよくそれを食べに行っていた。
 
「田んぼも道路も瓦礫に埋まっていました。その光景を目の当たりにして、日本はこれからどうなっていくのだろうという不安と絶望感がおそってきました」

 その気持ちを押し殺して、少しでも被災者のため、福島県の復興のためにという思いでドライバーとしての任務を果たしていた。自分を支えてくれたのはレンジャー教育だった。
 
「どんな状況の中でも、自分を信じ、仲間と助け合い、任務を達成する責任感を養ってくれたのがレンジャー教育でした」

 レンジャー教育とは、N3曹のような施設科(工兵)隊員、普通科(歩兵)、野戦特科(砲兵)などの陸曹や陸士が受ける資格を手にする教育である。困苦欠乏、体力の限界の中で、途中の脱落者も出しながら、任務を遂行する厳しい経験を積んでいる。自分の弱さにもとことん直面する。それを乗り越え、左胸にレンジャー・バッジを着けた時の達成感は感動の一言だったという経験者も多い。
 
 ある上司が語った。一つの任務に対して全力で取り組む気持ちを持つ。もし、一人でも欠ければ、その任務は達成できない。だから、全員の気持ちを一つに合わせて取り組めば、必ず任務を達成できる。
 
 この言葉は、いつまでも心に残っているとN3曹は言う。

 次回は「任務意識」について紹介する。

(つづく)

(あらき・はじめ)

「荒木さんの書く本だから信用できます」(自衛官)
東日本大震災と自衛隊

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