指揮権とその継承 – 日本列島波高し(3)

2019年8月29日

前回書き残しましたが、映画「亡国のイージス」の終り近くに宮津副長が仙石先任伍長に指揮権を譲る場面がありました。一体、指揮権って何でしょう?

■指揮権とその継承

「軍隊」は人々の歴史の中で最も古く自然発生した社会組織の一つで、軍事諸制度は各民族固有の風土と永い歴史のなかで改善され、普遍化され、伝統化されて今日に至っています。それら制度の中の典型的な一つが部隊の指揮権とその継承の制度ですね。

古代ローマ軍の総指揮権を意味する言葉”imperium”が「皇帝」の語源になったように、軍隊における指揮権は昔から生殺与奪を伴う極めて重要かつ強大な意味を持っています。

指揮官は各部隊単位毎に必要ですが、二人以上いては「船頭多くして、舟、山に登る」の諺どおりマイナス面が多いことも歴史に照らせば明らかです。悪しき実例が我が国の小田原評定や共産国の政治将校ですね。誰が指揮権を振るうべきか、もしその人が指揮不能になったら誰が引き継ぐべきか、ということは重大な問題です。

1903年、日露の風雲が急を告げると連合艦隊司令長官は勇猛果敢な日高壮之丞から閑職にいた東郷平八郎に急遽替えられました。海軍大臣山本権兵衛の対露有事に備えた隠し球でした。

また、1914年にWW1が勃発すると英国艦隊司令長官には直ちにジェリコーが大抜擢されました。第一海軍卿(海軍大臣)フィッシャーのポケットには「有事にはジェリコー」が入っていたと言われています。

いずれも当初は意外感のある人事でしたが結果はご存知のとおりです。
このように有事の指揮官の人選は単なる人事を超えて戦備の最重要課題であるわけです。

■指揮権継承のルール

指揮官の任命は、平時には法令で定められた手続きに則って任免権者が行いますが、出動準備に入ると作戦計画の中で各部隊が有事編成(第2指揮組織)に組み替えられ、改めて各指揮官が指名されます。また、戦闘中はいつ誰が戦死しても混乱なく直ちに指揮権が継承できるよう、次のようなルールが出来ています。

(1) 政府が発行した将校名簿(Commissioned Officers’ List、
以下「将校名簿」と記す)に記載されている順(各自衛隊
幹部名簿の順)
(2) 記載名簿が異なる場合は階級の高い順(各国毎、各軍種別に
将校名簿は異なる)
(3) 同一階級の中では現在の階級へ進級した年月日の早い順
(進級の早い順)
(4) 上記も同じ場合は一つ前の階級へ進級した年月日の早い順
(5) 上記も同日付の場合は生年月日の順

この指揮権継承順序は通称「先任順」と呼ばれ、統合軍、連合軍、多国籍軍などの普遍化した現在ではどの国でも概ね同じです。

特に(2),(3)項は異なる国の異なる軍種の軍人の間で相互に先任順序を混乱なく認識する上でのコンセンサスになっています。(*1)

なお、このルールは「任命権者からの特段の指名が無ければ」という但し書きが付きます。事前に特段の指名があれば後述するように後任者が先任者を超えて指揮を執ることもあり得ます。

でもある映画の副長のように、幹部(将校)がいるのに海曹長(下士官)に指揮権を譲るようなことは普通はやりません。このような場合は臨時に相応しい階級を与えてから譲るのが本当のやり方です。アメリカ映画「史上最大の作戦」で「軍曹、お前を中尉に任命する。中隊を率いてあの丘を奪え」という場面がありましたね。

このため米軍には臨時階級 temporary rank という制度があり、本来の階級permanent rank と適宜併用されています。米軍には創設以来、permanent rankは★★の少将までしかなく、中将以上の階級は各ポストに応じて与えられるtemporary rank だそうです。★五つの元帥も戦時用に用意されています。
(残念ながら自衛隊にはこの制度がありません)

■将校は国家元首の代理人

基本的に、外敵と戦う部隊を指揮する資格は将校にしかありません。これは外敵との戦闘が国家主権の発動であり、その指揮官は国家元首の代理者たる公人である、という西欧の考え方に由来します。まさに将校 Officer とは公人Official であるわけです。

陸上戦闘は個人が戦闘単位であるため小部隊では下士官指揮でもやむを得ない場合がありますが、海軍の場合は厳格です。

軍艦や自衛艦は在外公館と同様に外国に於いて排他的な治外法権等の様々な特権を有しています。いわば一国の領土がエンジンを付けて動いているようなものですが、その軍艦たる要件は、

(1) 将校名簿に記載された将校 Commissioned Officer が指揮し
ている。(*2)
(2) 政府の定めた軍艦旗を掲げている。(自衛艦旗は国際的に軍
艦旗とみなされている)
(3) 乗員が(1)項の指揮官の指揮下にある。(反乱を起こしてい
ない)

ことが必要です。武装は必要ありません。逆にこの3条件が満たされていれば内火艇や手漕ぎボートであっても相手国に対して軍艦の特権が主張できます。

軍用機の機長が必ず将校であるのも同様(*3)で、例え単座の戦闘機でも一つの部隊である、という考え方に由来します。ことほど左様に指揮官たる将校は外交官と同様に背中に国家を背負っているのです。

■指揮権にまつわる話題あれこれ

尋常でない指揮権の付与や継承にまつわる話題には事欠きません。

典型的な実例はWW2の欧州連合軍最高司令官アイゼンハウアー元帥(後の米国大統領)ですね。彼はWW2の開戦時には大佐に過ぎませんでしたが、多国間の調整能力の高さを買われて見る見るうちに大将に進級し、先任だった英国のモントゴメリー大将(後に元帥)を差し置いて最高司令官に任命されました。

これは当時の米英の力関係が色濃く出た結果ですが、部下にされたモントゴメリーは終始反抗的でした。その影響は他にも及び、ヨーロッパ戦線における各将軍間の軋轢、葛藤は凄まじいものがあったようです。(参照:「将軍達の戦い」早川書房)

帝国海軍には「兵科機関科一系問題」という積年の頭痛の種がありました。
その原因は「兵科将校が少尉に至るまで戦死してから機関科の大佐が指揮権を継承する」ように定めた「軍令承行令」という規則にありました。実際にキスカ作戦中の潜水艦で艦長以下次々に戦死して少尉が艦長職務を執行した例も起きました。

単なる指揮権継承順序が職種間の差別意識を招いて海軍部内に長く深刻な軋轢と弊害を生じた問題でした。(これは初期の海上自衛隊まで尾を引きました)

中国の人民解放軍はかつて階級を全廃していた一時期(1965年~1988年)がありました。階級章は全員同じ赤四角の襟章だけになり、指揮員(将校)と戦闘員(下士官兵)の区分は残りましたが、外見上の区別はつかなくなりました。

そして1979年、ベトナム軍を懲らしめるつもりの中越戦争で逆にコテンパンに大敗してしまったのです。敗戦の主因はベトナム軍の豊富な実戦経験ですが、被害を大きくした理由の一つは階級が無かったために指揮系統が混迷を極めたことでした。この痛い経験から階級を復活することにしましたが、一度廃止した制度の復活は容易ではなく、完全な復活までには十年近い年月を要しました。

このように軍人に階級を与え軍服に階級章が明示されている本来の意味は、指揮権を継承する順序の目盛付けです。誰が指揮官で、今何処にいて、もし戦死したら次に指揮を引き継ぐ者は誰か、が良く判るようにしているわけです。(*4)

■歴史の蓄積が適切な判断を産む

しかし、それでもなお実際の現場では種々の問題が残ります。
例えば、映画「勇者のみ」や「戦場の勇気」のような、撃墜された航空機の機長と搭乗者中の先任者や地上戦闘中の指揮官との上下関係とか、「ケイン号の反乱」のような気狂いじみた艦長から指揮権を奪うことの合法性の問題などたくさんあります。長い歴史のある軍隊では参考になる先例や判例の積み重ねがありますが、歴史の浅い軍隊では中国の例のように肝心なときに混乱が起こります。

「一度失われた海軍の再建には百年かかる」と言われていますが、それにはここで述べたようなノウハウの蓄積も含まれています。帝国陸海軍77年、自衛隊55年の歴史もこの意味で決して長いとは言えません。

(ヨーソロ)

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(*1)(4),(5)項は各国の文化的背景により多少の差異があります。
(*2)軍艦には必ず、将校が指揮していることを示す旗がマスト頂部に掲げられています。長いヒモのような旗(艦艇長の長旗)の他、四角形や燕尾型の旗(旗艦で掲げる指揮官旗)の場合もあります。
(*3)旧軍では戦闘機等のパイロットに予科練出身等の下士官が珍しくありませんでしたが、自衛隊では原則的に幹部です。
(*4)階級に伴う処遇、礼遇の目安でもあります。(これまた複雑多岐な慣習の塊です)