「ロケット」–フランス外人部隊・日本人衛生兵のアフガニスタン戦争 Vol.26 (野田 力)

2019年2月6日

From:野田力
件名:ロケット
はじめに
皆様、お久しぶりです。この度は、長いお休みをいただきまして、ありがとうございました。
アフガン体験記を、再びお届けいたします。前回のメールマガジンから時間があいてしまい、文章力が落ちてしまっているかもしれませんが、これから徐々に上げていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
ロケット
COP46建設の作戦を終え、早朝にFOBトラに帰還したのだが、その同じ朝のうちに装甲車VABを整備した。アフガンの乾いた大地を走行すると大量の土埃が舞い、車両の機関部にまで入り込む。
VAB内蔵のエアーコンプレッサーから伸びるチューブで空気を車体に吹きつけ、できるだけ土埃を吹き飛ばす。車両のなかの壁の金属板を何枚か外し、エンジンなどの機関部に空気を吹きつけたり、車両の下にもぐりこみ、車軸などに対しても空気を吹きつける。
泥が付着していれば、ドライバーなどの硬い道具で削ぎ落とし、車両整備班の上級軍曹がニッコリするくらいまでキレイにしたあと、必要箇所にグリースを塗ったり、注入する。
エンジンオイルなど、いくつかの液体の量を点検し、減っていれば補充する。通常、急激に液体類が減ることはないが、点検は頻繁にやらなければならない。急な減少があれば、車両に不具合が発生しているということなので、故障の早期発見につながる。
VABをしっかりと整備する必要性は理解していた。実際の任務中に故障し、整備班が働くのを見たことがある。ある夜には、敵のロケットや迫撃砲の射程内での作業を私も手伝ったが、整備要員たちは暗視装置を使い修理していた。
体じゅうに土埃をかぶり、ところどころグリースや油にまみれながらも、私とミッサニ伍長はVABの整備を終えた。私はVABの下から這い出て、できるだけ埃やグリースを除去した。
我々は、今度はエアーコンプレッサーでFAMASやアーマーなどの個人装備に空気を吹きつけた。どんどんと土埃が出てくる。車両任務のとき、ミッサニはVABの上部ハッチから胸から上を出しているいっぽう、私の体は運転のため、完全に車内に入ったままなので、ミッサニのアーマーやヘルメットからは何倍も多くの土埃が飛んで出た。
これで午前の勤務は終了だ。コーヒーか紅茶を飲もうと思い、ミッサニといっしょに診療所の休憩室へ向かった。診療所の扉の前に着いたところで、50歳近くに見える米陸軍兵士が歩いてくるのに気づいた。中年太りで、ACU迷彩服の腹部が出ている。身長は170㎝くらいだ。
ミッサニに「米兵が来るぞ。」というと、「あ、そうですね。」と答えた。
ミッサニはあまりアメリカ軍に関心がないので、そう言うと診療所に入って行った。私は米兵と話がしたかったので、扉の前で立ち止まり、ニコニコ顔で米兵が近づくのを待った。
米兵が近づきながら私に笑顔を見せる。それと同時に私は米兵の袖上部についた部隊章を確認する。第82空挺師団の部隊章だ。胸のネームテープには「VOIGHT(ヴォイト)」と刺繍されている。
階級章もあるが、私は米軍の階級を知らない。覚えようと思ったことはあるが、面倒くさくなりやめたのだ。今になってそのことを後悔した。
「ハロー、サー。ワット・キャナイ・ヘルプ・ユー?(こんにちは。どうされましたか?)」
先に話しかけてみた。米兵ヴォイト氏が答える。「ハロー。最近、朝起きると目ヤニが多く出ていて目を開けるのが大変だから診てもらいたいんだ。」
時刻は11時半で、朝の診察はもう受け付けていない。通常は9時半くらいまでに診療所に来て申し出なければならない。
ヴォイト氏に「緊急を除いて、朝の診察はもう終わったと思いますが、一応聞いてみますね。少々お待ちください。」と言うと、「ありがとう。緊急じゃないから、あとでも構わないよ。」と返ってきた。
受付の衛生隊員に聞こうと、扉を開けた。そこにちょうど、軍医長のダミアノ大佐が通りがかった。大佐はヴォイト氏と同じくらいの年齢だが、身長は185㎝くらいで長身だ。
「大佐殿、朝の診察はもう締め切ってますか?アメリカ兵が診察を希望してます。」と仏語で聞くと、大佐は直接ヴォイト氏に英語で言った。
「緊急でなければ、14時にまた来てもらえるだろうか?」
「わかりました。そうします。」ヴォイト氏が答える。
大佐は診療所の奥へ行き、私は扉を閉め、診療所前でヴォイト氏と会話を始めた。
「僕はノダです。はじめまして。日本人です。」
「私はヴォイトだ。日本なら、横田基地と岩国基地に行ったことがあるよ。まあ、飛行機の経由だがね。また日本に行ってみたいよ。富士山山頂から日の出を見るのが夢なんだ。」
「そのとき、僕が日本にいれば、案内しますよ。」
「おぉ、ありがとう。」
「ヴォイトさんは連絡将校なんですか?」
「そうだよ。第82空挺師団と君の連隊との間の連絡役をやっているんだ。階級は曹長で、下士官なんだが、連絡将校と呼ばれている。」
当時、米陸軍第82空挺師団はアフガニスタン東部におけるISAFの全体指揮を担当していた。それでヴォイト曹長が同師団から派遣されていた。
アフガニスタンに派遣されるのは2回目だそうで、前回は南部のカンダハルという都市にいたという。我々がいる地域は山岳地帯が多いが、カンダハルは平坦な地帯が多く、大規模な砂嵐がときどき発生するという。
カンダハルでは事務仕事をしていたので、戦闘任務につくことはなかったが、自分のいた建物のうえを迫撃弾が飛び越えていったときは、命の危険を感じたという。
「‘シュルルルル・・・ドン’あの音は絶対に忘れないよ。」怪談話をするような深い面持ちで彼は言った。
ヴォイト曹長から迫撃弾の話を聞いた翌日、私は22時30分になる前に二段ベッドに登り、眠ろうとした。その数分後、「シュルシュルシュル」と大きな音がした。すぐにロケットだと思った。しかし、「航空機が低く飛んだんじゃないか」とバカみたいなことが頭をよぎった。
衛生班の規定で、FOB(前方作戦基地)がロケット攻撃を受けたときは、VABに急行し出動可能な状況にしなければならないのだが、床に就いたばかりで、そうすることが面倒くさかったから、そんなバカなことを自分に言い聞かせようとしたのだろう。
すぐさま、理性が欲望に打ち勝ち、私は戦闘服に着替え、FAMASをつかんでVABへ向かった。仕事なんだから行かなければならない。初めてロケットがFOBに飛んできたのだが、恐怖心はなく、「面倒くさいが行かなきゃ」という気持ちに支配されていた。
VABにたどりつくと、看護官のオアロ上級軍曹がすでに到着していて、VABの各扉を開けられないようにする鎖についた南京錠を開錠していた。
「ノダ、運転席について、無線機を入れてくれ。」
「はい。」
私は無線機をオンにし、運転席についた。周波数を連隊本部の周波数に合わせたが、無線機からは誰の声もない。やがて、軍医のプルキエ少佐とミッサニ伍長もVABに乗り込んだ。いつでも出発できる。
FOBが攻撃を受けたときにVABの出動準備を整えるのは、ロケットなどで負傷者が発生した場合に、現場に急行し、その場である程度の医療行為を施すためだ。
車両で現場へ急行すれば、バックパックを背負って徒歩で行くより早いうえに、医療用のVABにはいろいろと医療品が積んであるので、はるかに高度な医療行為が施せる。
我々は車中で静かにしていた。話すことが禁じられているわけではなかったのだが、静かだった。無線から聞こえるかもしれない連絡を聞き逃したくなかったのか、単に眠たかったのか・・・。
30分くらいが経っただろうか、ついに無線から声が聞こえた。
「警報解除。警報解除。」
やっと眠ることができる。「ボンニュイ(おやすみ)」と言って、プルキエ少佐とオアロ上級軍曹はVABから去って行った。私はミッサニとともに、各扉に鎖をかけて、車内の物を誰かに盗まれることのないようにした。
VABを閉鎖すると、私とミッサニは兵舎に戻り、寝た。
このとき飛来したロケットは一発で、FOB上空を飛び過ぎ、荒野のどこかに落ちた。大概のロケットは外れるものだ。
(つづく)
(野田 力)