「軍人もまたひとりの人間である」 戦争は人間的な営みである~新戦争文化論~(4) (石川明人)

2020年4月21日

From:石川明人
件名:軍人もまたひとりの人間である
2012年(平成24年)9月25日(木)
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軍事情報短期連載  戦争は人間的な営みである~新戦争文化論~(4)
「軍人もまたひとりの人間である」
                石川明人
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こんにちは。
石川明人(北海道大学助教)です。
コメントをいただきました。
EWAT2672さま。コメントありがとうございます。
ご感想をいただき、感謝いたします。「軍事」と「宗教」の二つは、
人間社会に非常に深く長い影響を与えるものですね。
どちらにもプラスとマイナスの両面がありますが、いずれも人間社会
から完全に取り除くことはできないものです。両者とも非常に
「人間的」な営みであるがゆえに、その二つが交錯する場面では、
私たち人間が本来的に抱える様々な矛盾や限界が、かいま見られる
ような気がいたします。これからもじっくり考えていきたいと思って
おります。
杉浦さま。コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり、「トレンチコート」や「セーラー服」など、軍服に
由来するものは今でもありますし、「戦略」や「キャンペーン」など
の言葉は、会社経営の場面でも普通に使われますね。
「将棋」や「チェス」などの娯楽も、つまりは戦争ゲームです。
戦争や軍事は私たちの日常に浸透しています。偏見なく戦争・軍事に
向きあえば、きっと私たちは、多くを学ぶことができるのではないか
と考えています。今後ともよろしくお願いいたします。
では、【戦争は人間的な営みである】の第4回目をお送りしましょう。
今回のテーマは、「軍人もまたひとりの人間である」です。
軍人・自衛官というのは特殊な職業ですが、しかし彼らもまた、
それぞれの人生を背負い、愛する家族をもつ普通の人間です。
そのことについて、考えてみます。
忌憚のないご意見、ご感想をいただければ幸甚に存じます。
(参考動画:石川明人「戦争は人間的な営みである」約15分)
http://www.youtube.com/watch?v=gL_de198QsE
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▼誰もが戦争と関わっている
戦争に関わる、軍事に協力する、とは一般にどこまでをいうのだろうか。
開戦を決断する政治家、そして銃を手にする兵士たちは、もちろん
「戦争に直接関わっている人々」である。兵士のために武器を整備
するエンジニアもそうだろう。
芥川龍之介も、横須賀の海軍機関学校で英語の嘱託教官をしていた
ことがある。彼の初の短篇集『羅生門』が出版されたのはその時期
である。では、軍人にその職務に役立つ知識を教えていたという点で、
芥川も戦争に協力した者の一人と見なされるべきであろうか。
軍隊の基地のトイレに便器を納入しているメーカーも、軍隊の活動
を影で支えている、ということになるだろうか。
戦争や軍事への関わりは、結局は、どこまでを直接的・間接的・無関係
と認識するかという「感覚」の問題でしかない。戦争への関与や
軍事への協力ということの意味は、本来は、果てしなく曖昧で、
恣意的なものである。どこまでが林でどこからが森か、どこからが山
でどこまでが丘か、という話にも似ている。
もちろんこうした理屈は、戦争や軍事に限ったものではない。
他の多くの職業、他のさまざまな事柄についても、同じようなこと
が言えるであろう。
だが、「戦争」や「軍事」に関する事柄が人類全体の問題であり、
人間や社会の根本的なありようを問いかける深刻なものであるならば、
なおさらそうした究極的な「つながり」は意識されねばならないの
ではないだろうか。
最初にも述べたように、社会の一員として生活する限り、戦争や軍事
という人々の命や生活にかかわる重大な事柄へのつながりは、
明確にどこまでは責任がありどこからは責任がない、と境界線を
引くことなどできない。
そもそも、少なくとも近現代においては、戦争をやるかやらないか
を決めるのは軍人や自衛官ではない。決めるのは政治家であり、
そしてその政治家を決めるのは、国民の全員である。
軍隊や自衛隊に批判的な一部の人たちは、軍人は訓練でさまざまな
武器を用いているから、きっとそれを実際に使ってみたくなって
しまうのではないか、などとも言う。つまり軍隊や自衛隊の存在
自体が、戦争の可能性を高めているなどと考えているようでもある。
しかし、例えば消防隊員は、日々の訓練の成果を発揮できる機会
として、火災や事故の発生を待ち望んだりはしないだろう。医師
もまた、他人の病気や怪我を、自分が得た知識と技術を活用させ
られる機会として喜ぶわけではないだろう。
同じように、軍人や自衛官も決して武力衝突を欲しているわけでは
ない。有事にはまっ先に危険に身をさらし、家族を悲しませるリスク
を背負っているのは彼らである。平時でも事故による殉職は少なく
ない仕事である。
日露戦争時、あるいは太平洋戦争時には、日本では軍人にも開戦に
消極的な者が多くおり、一方で、民間人のなかにはかなり多くの
開戦論者がいたということも、決して忘れてはいけない。
▼軍人・自衛官へのまなざし
現代日本では、とりわけ一九六〇年代から七〇年代にかけては、
自衛隊に対する社会の目は異様に冷たいものであった。
例えば、防衛省では職務上の必要から、自衛隊員を国内の大学院等
において研修させることがある。しかしこれまでには、受験の際に
大学側からその辞退を求められたり、せっかく送った願書が
返送されてくるという事例も頻発していた。つまり大学による自衛官
の受験・入学の拒否である。
それは一九六四年から一九七一年までの間だけでも、約五〇名に
及んだ。一九七六年度版の防衛白書によれば、最近はトラブルの
予想される大学には出願を避けている等の理由から入学を拒否される
例は少なくなっているが、今なお希望の学校や科目等を自由に
選べない実情にあると記されている。
また、私費で夜間に大学等ヘ通学したり、通信教育により勉学に
励んでいる者も、一九七五年の時点で約一万二三〇〇名に達して
いた。だがこの場合ですら、自衛官であることを理由に高校通信
課程の転入学を拒否されたり、あるいは大学入学後に自治会学生
らによって一年間にわたって通学を妨害され、現地の地方法務局
に人権侵犯問題として申告したという事例もあったのである。
一九七三年には、立川市で同市内へ移駐してきた自衛隊員六五名
の住民登録が理由もなく留保されたため、市長が職権濫用で告発
されるという事件があった。いわゆる自衛隊員住民登録拒否事件
である。これは明らかに違法であり、偏見に基づく人権侵害で
あったが、事件は立川市が住民登録を再開し自衛隊側も処罰を
求めなかったことから、起訴猶予処分となった。
今現在でも、軍事や自衛隊に関することを大学内に持ち込むには、
教員の側に相当の覚悟が必要となる。
私もこれまで、戦争に関する授業を担当してきた。その講義では
自衛隊に関する事柄にも触れるわけだが、私には自衛隊での勤務
経験はないので、現場のお話をしていただきたいと思い、広報官
や知り合いの自衛官をとおして誰かを紹介してもらい、講義に
ゲストとして自衛官をお招きしたいと考えた。
すると自衛隊側は快諾してくださるのだが、しかし、大学側
(事務方)はそうした企画に対して極めて渋い反応を示し、
結局なかなか実現することができないのである。
他の授業では、会社経営者、法律家、芸術家、その他何らかの
専門職の方がゲスト・スピーカーとして教壇に立つことはよくある。
講義のテーマと連関する事柄において、現場の第一線にいる方に
お話をしていただくことは、学生にとっても明らかにプラスで
あろう。ところが、自衛官だけは呼べないのである。
それは国内の法律にも学内の規則にも違反していないにもかかわ
らず、実行に移すのは大変困難なのである。
もちろん大学は、明確に「禁止である」、「許可しない」とは言わ
ない。理屈の上では不可能ではないのだが、トラブル回避のために、
自粛するようにそれとなく促されるのである。私としても上司や
同僚に迷惑をかけるわけにはいかないので、その「助言」に
従わざるをえない。
聞くところによれば、一部の大学では、近くの駐屯地から
現職自衛官を講師として招いているなどの例もあるようだ。
しかしそれは例外的なものであり、日本のほとんどの大学では現在
でもそうしたことは難しいであろう。
ひと昔前ほどではないが、今も「軍事」や「自衛隊」は総じて
デリケートな話題であり続けているのである。
東日本大震災よりも数年前、私は学生数名をつれて千歳基地の航空祭
に足を運んだ。私自身は航空祭や駐屯地祭には何度も行ったことが
あるが、一緒に行った学生たちのほとんどは自衛隊施設に入るのが
初めてであった。私たちは展示してある戦闘機、輸送機、ヘリコプ
ター、ミサイルなどをみて、屋台で焼きそばやたこ焼きを食べ、
デモフライトを眺め、夕方になって帰路についた。
そのとき、一人の学生が今日一番印象的だった光景として口にした
のは、F15戦闘機の爆音でもブルーインパルスの華麗な技でもない。
制服や迷彩服を着た自衛官が、赤ん坊を抱きながら奥さんと仲良く
並んで歩いている姿だったという。
それまでその学生は、軍人は軍人、自衛官は自衛官であり、彼らは
戦争・軍事に関わる人々だというだけで、その一人ひとりの人格
や、生活や、家庭というものについてまで想像をしたことが
なかったというのである。
▼軍人・自衛官の不条理
軍隊の仕事は、他の仕事とくらべて本質的に異なる性格をもって
いる。戦争や軍事・軍隊の営みのなかに、独特な伝統や、儀礼や、
慣習や、価値観が生まれたのは、それが本質的に不条理なもの
だからである。
というのは、まず第一に、兵士は日々の厳しい訓練によって技術や
知識を習得しているにもかかわらず、社会からは、それらが実際に
活用される機会は永遠にこないことが期待されているという点である。
この点は、吉田茂の有名な訓示に見事に表現されている。「自衛隊
が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて
国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に
直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である
時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」。
この不条理は、彼らの仕事の大きな特徴の一つである。
そして第二に、戦争は確かに政治の延長線上にあるにもかかわらず、
最も直接的にそれにかかわる兵士一人ひとりは、政治的活動に関与
することができないという点である。
国防の任務は、民間人がイメージしている以上に地味なもので
あり、決して華々しいものではない。軍隊は社会に極めて強い影響力
をもっているがゆえに、兵士は個人の価値観や信念で動いてはならず、
あくまで組織として行動し、上からの命令に絶対に従うことが求められる。
軍隊や自衛隊へ入る若者たちのなかで、必要以上に強い政治的信念
を抱いてくる者たちは、むしろ途中で挫折しやすいともいわれている。
戦争そのものは何らかの大義をもっていたとしても、現場の兵士たち
は必ずしもいちいちそんなことを考えていられない。徴兵された者や、
単に他に仕事がなかった者もいるだろう。崇高な理想を抱いていたり、
あるいは家族や故郷のために戦うという者もいるかもしれないが、
彼らはもっとも直接的には、隣にいる同じ部隊の仲間のため、戦友
のために戦うのである。
それは美しいと同時に不条理なことでもある。一番辛いはずの
彼ら戦闘の当事者が、実際にはその戦争の目的に直に関わる余裕
を持つことが困難であり、結局戦いのための戦い、防衛のための
防衛にならざるをえないからである。
そして第三に、軍務は一つの職業、あるいは制度に他ならないが、
それにもかかわらず、軍人は時にはそのために自らの私生活を犠牲
にし、命をも危険にさらさねばならないという点が挙げられる。
収入を得て家族を養うための手段を「職業」というのであれば、
自分や家族を犠牲にしうる軍務とは、むしろ通常の職業の域を
超えたものだともいえよう。
自衛官の「服務の宣誓」の最後の一文、「事に臨んでは危険を
顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もつて国民の負託に
こたえることを誓います」というのは、こうした彼らの覚悟を
端的に示している。
軍事組織はその時代の科学技術や工業力を最大限に活用する。
しかしその組織の維持や継承においては、伝統を無視して物質的
ないし経済的な合理性のみで割り切っていくことはできない。
なぜなら組織の全体を維持し、任務を遂行し、それを継承していく
のは、それぞれの人生を背負い、感情をもった、生身の人間に
他ならないからである。
軍隊は、構成員の仲間意識、プライド、伝統、文化というものに
多く依存して成り立っている側面が強い。軍事を種々の合理性だけで
扱おうとすると、さまざまな矛盾があらわになり、軍の規律は低下し、
やがては平和の阻害にさえつながるだろう。
構成員に「意味」を与えるために、軍事組織には一見したところ
非合理的に見える伝統や文化というものが必要なのである。それが
戦争や軍事を格好よく見せてしまうこともあるが、それはそもそも
そのように意図しているのだから当然のことなのである。
外見においても内面においても、格好の良さや美しさがなければ、
そして一人ひとりのプライドを育まなければ、強力な兵器を扱い、
苛酷かつデリケートな役割を担い、本質的に不条理を抱えた大組織を、
安定して維持することはできない。戦争や軍事の格好の良さは、
それがもつ根本的な不条理の裏返しなのである。
▼軍人・自衛官への敬意
私の父方の祖父は陸軍将校で、朝鮮半島に派遣されたこともあり、
陸軍予科士官学校の教官もつとめた。その祖父が残した遺品の中に、『士官学校記事』という定期刊行の論文集から「精神訓話」という文章が載っているページ
だけを分解して取り出し、各号のその部分だけを丁寧に紐で閉じた
10センチほどの厚さの束があった。
その「精神訓話」というのは、文字通り軍人の精神のあり様について
書かれたコーナーである。だがそれらの内容は、決して攻撃的で
あったり敵愾心を煽るようなものではない。むしろ、大変謙虚な、
素朴で美しい日本的道徳を論じた文章ばかりなのである。そこには
「軍人」という職業に必ずしも直結するわけではないような、
人ならば誰もが心に抱いておくべき道徳が書かれているのである。
同じことは、「軍人勅諭」における、忠節、礼儀、武勇、信義、
質素、の五つについてもいえるであろうし、また批判的に触れられる
ことの多い「戦陣訓」でもそうである。それらはもちろん軍人という
特殊な人々へ向けた文章ではあるが、しかし冷静に読んでみると、
全体の基本線は、あくまで人間一般にほぼ普遍的に受け入れられる
ような道徳なのである。
一般の会社員や公務員のためには、わざわざこのようなものはない。
軍人に対してのみ、生き方、死に方、日々の佇まいについての規範
が求められる。そうしたことそれ自体に、軍人という立場の特殊性
が表れているのである。
近代以降の日本では、実在した人物が「軍神」とされることがあった。
廣瀬武夫、橘周太、東郷平八郎、爆弾三勇士、真珠湾九軍神、そして
特攻隊員たちなどである。
だが廣瀬武夫も橘周太も、敵愾心を燃やし、戦闘意欲を鼓舞し、
多くの敵を倒したことが評価されたのではない。そうではなく、
当時の人々は、彼らの「真面目で潔癖な性格」、「愛すべき人柄」、
「部下思いの優しさ」、「皇室への尊崇の念」などの要素に注目した
のである。そうした素晴らしい人物の壮絶な戦死に、日本国民は
感動したのである。
つまり、「多くの敵を倒す勇猛果敢な軍人」としてではなく、
「人を思いやる優しく潔癖な男」の姿を尊敬したのである。
しばしば「軍神」は、軍部が国民を戦争に駆り立てるために、意図的
につくり出したと言われることもある。だがこれらは、むしろ期せず
して生まれ、一般国民の強い支持があったからこそ定着していった
のである。
「軍神」は、輝かしい勝利によって戦意を高揚させるための狡猾な
手段だったのではなく、美しい献身的な若者の死という「涙」に
よって、「悲しみ」によって、日本人のすぐれた資質を国民の皆が
再確認するための存在であったと言ってもよいかもしれない。
戦争が好きな人間などいるはずがない。職業軍人も、徴兵された者も、
みなさまざまな思いを抱きつつも、国のため、仲間のためにと思い、
戦って死んでいった。今の日本の平和が、彼らの犠牲のもとにある
ことは明らかである。
人々は軍人の内面に、崇高な何かを求めるのである。軍人の仕事、
使命には、人々の生死や国家の存亡にかかわるという、究極の深刻
さと重大さがあり、特別なものだと捉えられているのである。
もちろん人間は、誰しも、完全な善人でもなければ完全な悪人でも
ない。軍人も普通の人間であり、一般の人々と同じように、それぞれ
の欲望や、理想や、喜びや、失敗や、後悔のなかを、のたうちま
わって人生を生きていくものである。
だがそれでも人々は、軍人に重大で深刻な役回りを任せるからこそ、
彼らに崇高さを求める。また軍人は、不条理な役回りを引き受ける
からこそ、自ら崇高であろうとするのである。戦争や軍事は、
あくまで人間による営みである。
硫黄島で壮絶な持久戦を指揮した栗林忠道中将が、家族に宛てて
書いた手紙をみてもわかるように、高級将校でさえ、当たり前の、
それぞれの人生を背負った、普通の人間に過ぎない。軍人は、
特別な存在であると同時に、普通の人間なのである。
毎年正月、知り合いの自衛官から私のところに年賀状が送られて
くる。そこに印刷されている彼の家族の写真を見るたびに、
私は、日本が戦争をすることがありませんように、と心から思う
のである。
軍人や自衛官一人ひとりの人生、生活、彼らの家族や将来を、
丁寧に想像してあげることもまた、私たちに出来るとても大切な
平和主義的営みの一つなのではないだろうか。
(いしかわ・あきと)
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●著者略歴
石川明人(いしかわ あきと)
北海道大学助教。文学博士。
立教英国学院(Rikkyo School in England)卒業
立教大学文学部キリスト教学科中退
北海道大学文学部哲学科宗教学講座卒業
北海道大学大学院 修士課程修了
同、博士後期課程 単位取得退学
北海道大学助手、北海道大学大学院文学研究科助手を経て
現在、北海道大学大学院文学研究科助教。
https://sites.google.com/site/akitoishikawaa10/home より
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■兵頭二十八さんの問題意識
<わが国の軍事図書情報の総合環境を、すこしでも改善するために、
広く皆様のお知恵をあつめたいものと念じております。>
(兵頭二十八さん)
アイデアありますか?
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著者:石川明人
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